テル・モンド
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ヘブライ語転写表記 | |
• ISO 259 | Tel Mond |
座標: 北緯32度15分16秒 東経34度55分7秒 / 北緯32.25444度 東経34.91861度座標: 北緯32度15分16秒 東経34度55分7秒 / 北緯32.25444度 東経34.91861度 | |
国 | イスラエル |
地区 | 中部地区 |
設立 | 1929年 |
行政 | |
• 種別 | 地方議会 |
• 首長 | Att. Shmuel Sisso |
面積 | |
• 計 | 8,000ドゥナム (8km2 / 3mi2) |
人口(2019年)[1] | |
• 計 | 13,144人 |
ウェブサイト | tel-mond.muni.il |
テル・モンド(Tel Mond、ヘブライ語: תֵּל מוֹנְד)は、イスラエルのシャロン平野でネタニヤの東方、クファル・サバの北方に位置する町(地方評議会)。2019年時点の人口は、13,144人であった[1]。
テル・モンドは、1929年に初代メルチェット男爵アルフレッド・モンドによって創建された。メルチェット卿は、イギリスの実業家で、閣僚経験もあり、イギリス・シオニスト財団 (the British Zionist Foundation) の会長でもあった。彼が代表であったイスラエル植民会社 (The Israel Plantations Company) は、この地方の土地を購入し、ユダヤ人労働者たちに雇用機会を提供するため、柑橘類の果樹園を拓いた[2]。1933年には、農民たちのグループがこの会社から土地を購入し、モシャブ・テル・モンドを開設した。1936年には、別のグループが、メルチェット卿に従って妻とともにテル・モンドに入植したイスラエル・シーフに因んで名付けられたモシャブ・クファル・ジフ (Moshav Kfar Ziv) を開設した。1943年、イエメンからの新たな移民たちによって、シェチュナット。ヤアコフ (Shechunat Ya'akov) が開設された。イスラエル建国後、1950年代には、主にイエメンから流入した多数の移民たちを受け入れるために、ネベ・オベド (Neve Oved) とハダル・ハイム (Hadar Hayim) が建設された。1954年、これらのコミュニティすべてを合併してテル・モンド地方評議会が設けられた[2]。周辺に位置するモシャブである、クファル・ヘス、へルート、エイン・ベレドは、いずれもテル・モンド出身の開拓者達によって開かれたものである[3]。
数十年もの間に、テル・モンドは小さな町から自活できる小規模な都市にまで成長し、この地方にある他のコミュニティに様々なサービスを提供するまで成長した。この成長は急速に進んでおり、2030年には、人口が25,000人を超えるものと予測されている[4]。
2013年6月、テル・モンドの現代正統派ユダヤ教コミュニティである「Kehillat Mevaser Zion[5]」が、新たに建設したシナゴーグの開所式をおこなった際には、経済大臣ナフタリ・ベネットが出席した。
2017年6月、内務省は、弁護士であるシュミュエル・シソ (Att. Shmuel Siso) をテルモンドの首長 (Mayor of Tel Mond) に任命した。
メルチェット卿の家は、博物館になっており、テル・モンドの歴史を記録している[3] 博物館の外側には、バチヤ・リシャンスキー (Batya Lishansky) が造形したメルチェット卿の像が建てられている[3]。