人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1821年1月18日![]() |
死没 |
1872年5月6日(51歳没)![]() ![]() |
学問 | |
研究分野 | サンスクリット語学、言語学 |
テオドール・ゴルトシュテュッカー(Theodor Goldstücker、1821年1月18日 ケーニヒスベルク・プロイセン - 1872年5月6日 ロンドン)は、ドイツの東洋学者、サンスクリット研究者。
テオドール・ゴルトシュテュッカーは、1836年よりケーニヒスベルク大学で学問を修め、1838年から1849年までボン大学にて文学、東洋学及び哲学の研究に従事した。 その後パリに渡り、当地で保管されていた大量のサンスクリット語の手稿を研究した。1846年にドイツに戻り、ほとんどの時間をベルリンで過ごした。
1850年にロンドンに渡航し、ホーラス・ヘイマン・ウィルソンの手引きで1851年ロンドン大学のサンスクリット教授となった。同時にウィルソンは自身の「サンスクリット語辞典」の改訂をゴルトシュテュッカーに委任したが、Aの部だけで480ページに膨れ上がったために放棄された[1]。