ディディエ・デ・ラディゲス | |
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2014年 | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 | ベルギー |
活動期間 | 1979年 - 1991年 |
チーム | ヤマハ、カジバ、スズキ |
レース数 | 141 |
チャンピオン | 0 |
優勝回数 | 4 |
表彰台回数 | 15 |
通算獲得ポイント | 688 |
ポールポジション回数 | 12 |
ファステストラップ回数 | 3 |
初グランプリ | 1979年 (500cc - ダッチTT) |
初勝利 | 1982年 (350cc - イタリアGP) |
最終勝利 | 1983年 (250cc - ベルギーGP) |
最終グランプリ | 1991年 (500cc - マレーシアGP) |
ディディエ・デ・ラディゲス (Didier de Radiguès、1958年3月27日 - ) は、ベルギー出身の元レーサー。2輪のグランプリ(ロードレース世界選手権)や4輪の耐久レースで活躍した。日本語媒体では「ディディエ・デ・ラディゲ」という、本人の母国語である仏語により近い表記も見られた。
1979年、500ccクラスでグランプリにデビューした。グランプリで最も成功したシーズンは1982年で、この年は350ccクラスで2勝を挙げてアントン・マンクに次ぐランキング2位となった。その後、1988年にはヤマハのファクトリー・チームでエディ・ローソンのチームメイトを、1991年にはスズキでケビン・シュワンツのチームメイトをつとめた。グランプリでは通算4勝を挙げている。
2輪レースを引退後、4輪の耐久レースに活躍の場を移し、1997年のスパ24時間レースで優勝した後、アメリカン・ル・マン・シリーズに参戦。2001年にはLMP675クラスチャンピオンを獲得した。
1998年のル・マン24時間レースには、同じく元グランプリライダーのワイン・ガードナーと同じチームから出場した[1]。
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1998年 | ソリューション F | フィリップ・ガッシェ ワイン・ガードナー |
ライリー&スコット・Mk III-フォード | LMP1 | 155 | DNF | DNF |
1999年 | クレマー・レーシング | トーマス・サルダーニャ グラント・オーベル |
ローラ・B98/10-フォード | LMP | 146 | DNF | DNF |
2000年 | チーム ラファネッリ SRL | ドメニコ・スキャッタレーラ エマニュエル・ナスペッティ |
ローラ・B2K/10-ジャッド | LMP900 | 154 | DNF | DNF |
2001年 | ディック・バーバー・レーシング | サッシャ・マーセン 松田秀士 |
レイナード・01Q-ジャッド | LMP675 | 95 | DNF | DNF |
2002年 | MBD スポーツカー チーム | ミルカ・デュノー ジョン・グラハム |
パノス・LMP07-無限 | LMP900 | 259 | DNF | DNF |