ディンゴール卿(英: Lord Dingwall)はスコットランド貴族のロード・オブ・パーラメント。
リチャード・プレストンが1609年に叙されたのに始まる。1871年以降は、イングランド貴族のルーカス男爵と継承者を一にする。
スコットランド王ジェームズ6世の寵臣たる判事リチャード・プレストン(1566-1625)は、1609年にスコットランド貴族としてディンゴール卿(Lord Dingwall)に叙せられた[1]。ついで、1619年にはアイルランド貴族爵位のデズモンド伯爵(Earl of Desmond)、カレン子爵(Viscount Cullen)及びダンモア男爵(Baron Dunmore)を授けられた[2][3]。1625年に彼が亡くなると、すべてのアイルランド爵位はすべて廃絶となった[1]。一方で女系継承が可能なディンゴール卿位は、初代伯の一人娘であるエリザベスに相続された[1]。
2代女卿エリザベス(1615–1684)は第12代オーモンド伯爵(のち初代オーモンド公爵)と結婚したため、これ以降はバトラー家によって承継されることとなった。
彼女ののちは、長男ジェームズ(3代卿、1665–1745)が爵位を相続した[1]。しかし、彼は1715年にジャコバイト蜂起参加のかどで私権剥奪されたため、ディンゴール卿を含めたすべての爵位が没収されてしまう[4]。
その後、3代卿の子孫である第7代クーパー伯爵(1834-1905)は貴族院に対して爵位回復の請願を行って、1871年にディンゴール卿位とバトラー男爵位を回復した[5]。
彼が男子なく没すると、甥にあたるオベロン・ハーバート(1876–1916)が相続した[6]。
なお、第7代クーパー伯爵は母方からイングランド貴族爵位のルーカス男爵を相続していたことから、彼以降のディンゴール卿はルーカス男爵位を兼ねることとなった。(→以降の歴史はルーカス男爵を参照)
1871年の決定により、以下の者を通して爵位が承継されたものと考えられる。
以降の承継者はクラッドウェルのルーカス男爵を参照