デイビー・リチャーズ | |
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プロフィール | |
リングネーム | デイビー・リチャーズ |
本名 | ウェスリー・デビッド・リチャーズ |
ニックネーム |
フルメタル・ブルドッグ アメリカン・ウルフ 新世紀の爆弾小僧 |
身長 | 173cm |
体重 | 92kg |
誕生日 | 1983年3月1日(41歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ワシントン州 |
トレーナー |
トニー・コジーナ ポール・オーンドーフ |
デビュー | 2004年 |
デイビー・リチャーズ(Wesley David "Davey" Richards、1983年3月1日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。
トニー・コジーナのコーチを受け、2004年6月にプロレスデビュー。主に西海岸の独立系団体を渡り歩いた。
2005年10月に、PWGではスーパー・ドラゴンとのコンビでPWGタッグ王座を獲得した。
2006年4月8日、アメリカの独立系団体で活動する若手の登竜門とされるECWAスーパー8トーナメントに出場。チャーリー・ハースら強豪を次々と破って優勝し、一躍スターダムにのし上がる。5月にPWGタッグ王座を失うものの、同年9月3日にPWGで開催されたバトル・オブ・ロサンゼルス2006トーナメントでCIMAを破って初優勝。日本でもその名前が知られるところとなる。6月3日、ジミー・レイヴ戦でROHに初出場。以後、レギュラーとして継続参戦を果たした。8月5日には待望のKENTA戦が実現し、敗れたものの高い評価を得た。
2007年初頭、ロドリック・ストロング率いるユニットノー・リモーズ・コープスへの加入に伴いヒール・ターン。以後、主にロッキー・ロメロとのタッグで活躍し、2008年にはROH世界タッグ王座を獲得した。 7月、プロレスリング・ノアに参戦。ブライアン・ダニエルソンとのコンビで日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に参加した。
2008年も同ジュニアヘビー級タッグリーグ戦にダニエルソンと出場した。
2009年にはエディ・エドワーズとアメリカン・ウルブズなるタッグチームを結成してROH世界タッグ王座を奪取。
2010年、新日本プロレスBEST OF THE SUPER Jr.に参戦し以降、新日に継続出場していた[1]。
2011年10月10日、ロッキー・ロメロとのタッグチーム「ノー・リモーズ・コープス」でApollo55(プリンス・デヴィット、田口隆祐組)からIWGPジュニアタッグ王座を奪取。
2012年1月4日、東京ドーム大会のIWGPジュニアタッグ戦でApollo55のリマッチに敗北。同王座から陥落するも、リマッチ権を行使。2月12日の大阪大会でApollo55に勝利しIWGPジュニアタッグ王座を奪還する。3月10日、名古屋大会でプリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に一昨年12月、昨年11月と通算3度目の挑戦、同じ相手だったがブラディサンデーで敗れた。5月、アメリカに帰国中、交通事故に巻き込まれ負傷、同月3日の福岡大会で予定されていたIWGPジュニアタッグ戦が中止となり、同王座を返還(返還式ではパートナーのロメロが菅林社長に返還する)。また、同月5日と6日に予定されていた試合も欠場、出場予定だったBEST OF THE SUPER Jr.ⅩⅨの全戦欠場となってしまう事となった。
2014年1月、エディ・エドワーズと共にTNAと契約して入団。ザ・ウルブス(The Wolves)のタッグ名で活動を開始。TNAと提携するWRESTLE-1にも参戦。
2017年7月、医師になるための勉強に専念するためGFWを退団[2]。
他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。