デイブ・グリーンフィールド Dave Greenfield | |
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![]() デイブ・グリーンフィールド(2018年) | |
基本情報 | |
出生名 | David Paul Greenfield |
生誕 | 1949年3月29日 |
出身地 |
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死没 | 2020年5月3日(71歳没) |
ジャンル | パンク・ロック、ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、プログレッシブ・ロック |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | キーボード、シンセサイザー、電子オルガン、エレクトリックピアノ、ボーカル |
活動期間 | 1960年代後半 - 2020年 |
共同作業者 | ストラングラーズ |
デイブ・グリーンフィールド(Dave Greenfield、1949年3月29日 - 2020年5月3日)は、イングランドのミュージシャン。ストラングラーズのキーボーディストとして知られる。
ブライトン出身。かつては音楽大学に学ぶ学生で、音楽的ルーツはクラシックにある。幾つかのバンドやドイツのパブなどでの演奏経験があり、ストラングラーズのメンバーになる前にはラスティ・バトラー(Rusty Butler)やクレド(Credo)といったプログレッシブ・ロック・バンドでキーボードを担当していた。
1974年、留学先のスウェーデンからイギリスに帰国したヒュー・コーンウェル(ギター、ボーカル)は、ジェット・ブラック(ドラムス)、ジャン=ジャック・バーネル(ベース、ボーカル)とストラングラーズを結成したが、キーボード奏者を加えたいと考えていた[注釈 1]。グリーンフィールドはコーンウェルたちが『メロディ・メイカー』誌に出したキーボード奏者募集の広告を見て応募した。お互いの演奏スタイル、音楽性を一遍に気に入り、意気投合した彼は即座にストラングラーズに加わることを決断した。
初期には口髭を生やしており、パラシュートスーツとパイプをくわえたいでたちでステージに登場してビールが置かれたキーボードを演奏する姿がトレードマークになっていた。コーラスだけでなく、数曲でリード・ボーカルを担当した[注釈 2]。1990年にコーンウェルが脱退した後は、盟友のバーネル[注釈 3]、ブラック[注釈 4]とともにストラングラーズの息の長い活動を支えた。
2020年5月3日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した[1]。71歳没。
デビュー・アルバム『野獣の館』(1977年)とセカンド・アルバム『ノー・モア・ヒーローズ』(1977年)でのキーボードはハモンドオルガンを中心に構成された。当時の楽曲には、クラシックを土台にした旋律にブルース的なテクニックを駆使するアレンジが多くみられた。
パンク・ロック・アルバムの最高峰の1枚ともいわれるサード・アルバム『ブラック・アンド・ホワイト』(1978年)からはハモンドオルガンは鳴りを潜め、シンセサイザー中心の構成になった。同アルバムではエキセントリックな旋律もみられたが、4作目『レイヴン』(1979年)以降のアルバムでは耽美的な旋律が多くなった。
1980年代のストラングラーズの音楽は耽美的な旋律を奏でるキーボードの露出が強くなり、1970年代のパンク・ムーヴメントで披露した過激な音楽性やスタイルを求めていた「ボーイたち」と呼ばれる初期のファンを少なからず失った。