デクマヌス・マクシムス(ラテン語: Decumanus Maximus)は、古代ローマの都市の中心部を東西に貫く基幹道路[1]のことを指す。カストラやコロニアなどでは、デクマヌス・マクシムスの敵に近い方向の市街地境界の門をプラエトリア門、反対側の門をデクマナ門と呼ぶこともあった。「デクマヌス」は、「デクマーヌス」[2]とも表記する。
都市の中心付近で、南北方向の基幹道路であるカルド・マクシムス[1]と交差しており、フォルム(公共広場)がその付近に造られることが多かった。
また、東西の通りのことを単にデクマヌスとも呼んでいた。