『デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』 | ||||
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ジャクソンズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | カリフォルニア州ロサンゼルス チェロキー・レコーディング・スタジオ、トータル・エクスペリエンス、ハイダーズ/フィルムウェイズ、レコード・プラント、ドーンブレイカーズ | |||
ジャンル | ソウル、ファンク、ディスコ | |||
時間 | ||||
レーベル | エピック・レコード | |||
プロデュース |
ジャクソンズ ボビー・コロンビー、マイク・アトキンソン(エグゼクティヴ・プロデューサー) | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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ジャクソンズ アルバム 年表 | ||||
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『デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』(デスティニー〜こんやはブギー・ナイト、原題:Destiny)は、アメリカ合衆国の兄弟ボーカル・グループ、ジャクソンズが1978年に発表したスタジオ・アルバム。「ジャクソン5」から「ジャクソンズ」へ改名してからは3作目に当たり、グループ初のセルフ・プロデュース作品となった[5][6]。
前作『ゴーイン・プレイシズ〜青春のハイウェイ』(1977年)がセールス的に成功しなかったことから、エピック・レコード及び親会社のCBSレコードはジャクソンズとの契約を解除しようとするが、当時エピックのA&Rだったボビー・コロンビーの提案により、セルフ・プロデュース作品でグループに最後のチャンスを与えることになった[5]。「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜のブギー・ナイト)」はコロンビーの案によってレコーディングされた曲で[5]、他の曲はいずれもメンバー自身が作詞・作曲し、うち3曲はランディとマイケルの2人が共作。
コロンビーの推薦によりグレッグ・フィリンゲインズが本作のリズム・アレンジを担当し、フィリンゲインズは以後、ジャクソンズに加えてマイケルのソロ・アルバムでも仕事を続けていく[7]。ギター・パートに関しては、メンバーのティトに加えてスタジオ・ミュージシャンによる演奏も含まれているが、「シェイク・ユア・ボディ」のみティトが単独でギターを弾き、また「プッシュ・ミー・アウェイ」のギター・ソロもティトによる[8]。
Billboard 200では11位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは3位を記録した[2]。本作からのリード・シングル「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」全米54位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートでは3位を記録[2]。続いてシングル・カットされた「シェイク・ユア・ボディ」は、1979年に全米7位、R&Bシングル・チャートで3位を記録して、ジャクソンズ名義での再デビュー曲「僕はゴキゲン」以来の全米トップ10ヒットとなった[2]。
本作はオランダでも成功を収め、同国のアルバム・チャートで7位に達したのに加えて、シングル・チャートでも「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」が6位、「シェイク・ユア・ボディ」が3位を記録した[1]。イギリスでは、本作は全英アルバムチャートで33位に終わるが[3]、全英シングルチャートでは「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー(今夜はブギー・ナイト)」が8位、「デスティニー」が39位、「シェイク・ユア・ボディ」が4位に達し、2曲が全英トップ10入りを果たした[9]。
アンディ・ケルマンはオールミュージックにおいて本作に5点満点中4点を付け「単にマイケルの『オフ・ザ・ウォール』のお膳立てをしたというだけではない」と評している[6]。
特記なき楽曲はジャクソンズのメンバー5人の共作。
アディショナル・ミュージシャン