Death from Above 1979 | |
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Paredes de Coura Festival (2011年8月、ポルトガル) | |
基本情報 | |
出身地 | カナダ オンタリオ州トロント |
ジャンル |
ダンス・パンク ノイズロック |
活動期間 |
2001年 – 2006年 2011年 – |
レーベル |
Last Gang Records ワーナー・ブラザース・レコード Victor Entertainment |
公式サイト |
www |
メンバー |
ジェシー・F・キーラー セバスチャン・グレインジャー |
デス・フロム・アバヴ 1979(デス・フロム・アバヴ・ナインティーン・セヴンティ・ナイン、英: Death from Above 1979)は、カナダのギターレスロックユニット。パンク、ノイズ、ニュー・ウェイヴ、ダンス・ミュージックなどを内包したガレージロック系サウンドが特徴[1][2]。
キーラーが自身の宅録ユニット「FEMME FATALE」をライヴバンドに発展させるためのメンバー募集でグレインジャーと出会い[3]、2001年に結成[4]。元々はギタリストやボーカリスト等も入れるつもりであったが、キーラーがベースとドラムだけで曲作りや録音をしていた時にグレインジャーが「これでバンドをやるべきだ」と提案し、ドラムを叩きながら歌えるかを試してみたところ、「これだ、上手くいく」と感じた事がギターレスとして活動する方向性を決定づけた[5]。
地元のトロントを中心にライヴ活動を行い[4]、2002年12月15日、EP『Heads Up』をカナダのインディーレーベル「Ache Records」より発売。このEPではデス・フロム・アバヴ(英: Death from Above)名義であったが、同じ名称を使用しているDFAレコーズからクレームが入り、グレインジャーの出生年である1979を付け足し、デス・フロム・アバヴ 1979(英: Death from Above 1979)に改名[1]。
2004年にアメリカのレーベルVice Recordsと契約し、デビューアルバム『ユー・アー・ア・ウーマン、アイム・ア・マシーン』を発売[1]。その後アンスラックス、ヤー・ヤー・ヤーズのオープニングアクトを務め、2005年2月には日本の渋谷CLUB QUATTRO、心斎橋CLUB QUATTROでライブを行う[6]。2005年10月18日、アウトテイク&リミックスアルバム『ロマンス・ブラッディ・ロマンス』を発売。
2006年8月3日、解散を表明。公式ホームページに掲載されたコメントによれば、すでに数年前からキーラーはマスタークラフト(英: MSTRKRFT)、グレインジャーはソロ活動等それぞれ個別のプロジェクトを立ち上げており、そちらの活動をメインとしたいと説明した[7]。
2011年2月4日、コーチェラ・フェスティバルへの出演発表と共に再結成を発表し[3]、その他同年のレディング・フェスティバル、サマーソニックなど世界各地のロックフェスへの出演で活動を再開[2][8]。2014年7月8日、シングル「トレインレック1979」を発売し、同年9月9日に約10年ぶりのスタジオ・アルバム『フィジカル・ワールド』を発売[2]。