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基本情報 | ||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
生年月日 | 1958年6月25日(66歳) | |||||||||||
出身地 | ソウル特別市 | |||||||||||
ラテン文字 | Debbie Green | |||||||||||
身長 | 162cm | |||||||||||
体重 | 55kg | |||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
愛称 | デビー | |||||||||||
ポジション | S | |||||||||||
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デビー・グリーンことデボラ・グリーン(Deborah "Debbie" Green、現姓:Green-Vargas、女性、1958年6月25日 - )は、アメリカ合衆国の元バレーボール選手、元アメリカ合衆国代表。ロサンゼルスオリンピック銀メダリスト。
デビーは歴代のアメリカ合衆国代表セッターの中でも、ベストセッターと謳われた[1][2][3]。
1958年に韓国ソウル特別市に生まれ、カリフォルニア州で育った。ウェストミンスター高校(英語版)在学中に、Adidas Junior Teamのメンバーとなり国内タイトルを総なめにした。デビーは史上最年少でオールアメリカン(英語版)に選出されている。
大学は南カリフォルニア大学(USC)に進学した。デビーは低身長にも拘わらず、USC在学中に2度オールアメリカン(セッター部門)に選出された。デビーは素早くボールの下に回り込み、ジャンプトスを繰り出すことで、アタッカーに攻撃機会を与えるプレーを続けた。
1977年にはUSCトロージャンズは38勝無敗の成績でAIAW選手権(英語版)に優勝した。シーズン無敗記録は米国バレーボールの学生チームとしては初であった。翌1978年にもデビーは同選手権でUSCトロージャンズを優勝に導いた。
デビーは1980年の夏季オリンピックアメリカ合衆国女子代表に選出されたが、合衆国が参加ボイコットしたために幻の代表となった。次大会(1984年ロサンゼルスオリンピック)でも代表に選出され、合衆国女子代表チームの歴代最高位となる銀メダル獲得に貢献した。
デビーは国内女子プロバレーボールリーグのチームであるロサンゼルス・スターライツ(英語版)でプレーし、1987年と1988年には二連覇に貢献した。
2008-09シーズン終了まで、デビーはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校でアシスタントコーチを務めた[4][5]。
デビーは1992年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校でコミュニケーション学士号を取得している。
Joe Vargasと結婚し二子を儲けた。うち一人はデビーと同じくセッターで、デビーがアシスタントコーチを務めたUCロンビーチでプレーしていた。
1986年に全米バレーボール協会の殿堂入りを果たし、同年4月に合衆国歴代プレーヤから選ばれる「All-Time Great Volleyball Player」賞を受賞した。また女性として初めてオレンジ郡スポーツ殿堂入りの栄に浴した。USCでは、デビーの背番号を永久欠番とし、2003年には女性として五人目となるUSCアスリート殿堂入りを果たした[6]。また1995年にはバレーボール殿堂入りの栄誉に浴している[7]。