『デラニーよりボニーへ』 | ||||
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デラニー&ボニー&フレンズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
ニューヨーク デッカ・スタジオ フロリダ州マイアミ アトランティック・サウス・クライテリア・スタジオ | |||
ジャンル | ロック、スワンプ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | アトコ・レコード | |||
プロデュース | ジェリー・ウェクスラー、トム・ダウド、デラニー・ブラムレット、キング・カーティス | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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デラニー&ボニー&フレンズ アルバム 年表 | ||||
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『デラニーよりボニーへ』(原題:To Bonnie from Delaney)は、アメリカ合衆国の夫婦デュオ、デラニー&ボニーが「デラニー&ボニー&フレンズ」名義で1970年に発表したスタジオ・アルバム。通算4作目、スタジオ・アルバムとしては3作目に当たる。
1970年3月、デラニー&ボニー&フレンズのメンバーの大部分がジョー・コッカーのツアー「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」に参加したため、エルヴィス・プレスリーのバンドで活動していたジェリー・シェフとロン・タット、それにオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン等の新メンバーが起用された[2]。
「コール・イット・ロックンロール・ミュージック」「アローン・トゥゲザー」「リヴィング・オン・ジ・オープン・ロード」の3曲はニューヨークでレコーディングされ、残りの曲はマイアミでレコーディングされた[3]。両方のセッションでデュアン・オールマンが全面参加しており、また、ニューヨーク録音の3曲ではキング・カーティスがサウンド・プロダクションに貢献した[3]。
「ミス・アン」はリトル・リチャードが1957年に発表した曲のカヴァーで、リチャード自身がゲスト参加した。ボビー・ウィットロックの自伝によれば、リチャードは25分もピアノを弾き続け、デラニー・ブラムレットがそれを編集し5分にまとめたという[4]。バーバラ・キースが提供した「フリー・ザ・ピープル」は、後にバーブラ・ストライサンドのアルバム『Stoney End』(1971年)でカヴァーされ[5]、また、作者のキースも1973年のアルバム『Barbara Keith』でセルフ・カヴァーしている[6]。
本作はアメリカのBillboard 200で58位に達した[1]。また、「フリー・ザ・ピープル」をA面、「ソウル・シェイク」をB面に収録したシングルもリリースされ[7]、Billboard Hot 100では前者が75位、後者が43位を記録した[1]。
マシュー・グリーンウォルドはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け「魂の込められた"The Love of My Man"を筆頭に、何曲かでボニー・ブラムレットが披露した偉大なボーカル・パフォーマンスを聴けば、彼女が何故ジャニス・ジョプリンと同列で語られているか分かる」と評している[8]。また、Michael Gallucciはultimateclassicrock.comの企画「デュアン・オールマンのスタジオ・セッションTop 10」において、本作からの「リヴィング・オン・ジ・オープン・ロード」を8位に挙げ「ポジティヴに突き通してくるオールマンのギター・ソロを伴った、ブルージーでR&B風のロック・ナンバー」と評している[9]。
ニューヨーク・セッション
マイアミ・セッション