レイクカントリー・ドックハウンズ コーチ | |
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2018年6月28日 | |
基本情報 | |
国籍 | オーストラリア |
出身地 | クイーンズランド州ブリスベン |
生年月日 | 1969年12月14日(54歳) |
身長 体重 |
191 cm 105 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手、外野手、一塁手 |
プロ入り | 1987年 アマチュアFA |
初出場 |
MLB / 1992年5月18日 NPB / 2000年3月31日 |
最終出場 |
MLB / 1999年10月3日 NPB / 2000年7月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | オーストラリア |
五輪 | 2000年、2004年 |
WBC | 2006年 |
この表について
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オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
オーストラリア | ||
銀 | 2004 | 野球 |
デーブ・ニルソン(英語: Dave Nilsson, 本名:デビッド・ウェイン・ニルソン(David Wayne Nilsson , 1969年12月14日 - )は、オーストラリア連邦クイーンズランド州ブリスベン出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)、指導者。
中日ドラゴンズでの登録名はオーストラリア特有のイヌにちなんで「ディンゴ」だった。
1987年1月28日にミルウォーキー・ブルワーズと契約した。
1999年には野茂英雄とバッテリーを組んだ。同年はオーストラリア出身の選手として初めてMLBオールスターゲームに出場した。さらにオーストラリア代表選手としてIBAFインターコンチネンタルカップに出場し、4番打者としてMVPを獲得した。10月28日にFAとなった。
2000年にシドニーオリンピック出場を条件として中日ドラゴンズに入団した(この時に球団に紹介して一緒に入団したのがダン・カールソンである)。NPBの球団に入団した選手としては飛び切りの実績の持ち主であった[1]。開幕戦に5番・左翼で先発出場するも、日本の投手に対応できず極度の打撃不振で8月に退団した。捕手での出場は7月19日のヤクルト戦(神宮)の1試合のみ(7番・左翼で先発後、3回から6回まで捕手として出場)[2][注釈 1]で、本塁打も4月7日に横浜スタジアムのライトスタンド場外に記録した1本のみに終わった。二軍では45試合で打率.342、9本塁打という成績を残している[3]。9月にはシドニーオリンピックの野球オーストラリア代表に選出された。日本戦では黒木知宏から本塁打を記録した。指名打者と一塁手で出場し、13安打で打率.565を記録した。中日は1999年オフにFA宣言した工藤公康と江藤智の獲得を狙っていたが、中日の現場の本命は江藤であり、工藤は中日のフロントの意思で急遽獲得に乗り出したものの、最終的に中日はどちらも読売ジャイアンツ(巨人)にさらわれた。その後、江藤に代わる大砲候補としてディンゴを獲得していたが、事前調査が性急だった可能性が指摘されている[4]。
その後、ボストン・レッドソックスへの入団が決まっていたが、故障のため契約を保留した。2003年に契約を交わしたものの、実際にプレーすることはなく一旦は引退を表明した。
2004年2月9日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。8月にはアテネオリンピックに野球オーストラリア代表に選出された。主に捕手で出場。日本戦では本塁打を打って活躍し、勝利に貢献した[5]。準決勝では、日本を無失点に抑えて勝利しメダル獲得に大きく貢献した。なお、日本代表の監督代理を務めた中畑清の後の話によると、ニルソンは日本時代の経験を生かして日本野球を研究しており、何度やっても勝てると下に見ていたという[6]。10月15日にFAとなった。
2006年3月に同年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオーストラリア代表に選出された[7]。
2010年から、オーストラリアン・ベースボールリーグのブリスベン・バンディッツで監督を務める。同チームでは後に中日入りするドリュー・ネイラーを指導していた。バンディッツの監督としては、2016年から2018年にかけて3年連続でチームを優勝へ導いた。
2018年に行われた日本対オーストラリアの強化試合にコーチとして訪日し、18年ぶりに中日時代の本拠地ナゴヤドームのベンチに入った。この試合には自身が監督を務めるブリスベン・バンディッツに所属する甥のミッチェル・ニルソンがオーストラリア代表に選出され、出場した[8]。6月13日に、豪州野球連盟により、野球オーストラリア代表の監督に就任したことが発表された[9]。
2022年より、北米独立リーグのアメリカン・アソシエーションに所属するレイクカントリー・ドックハウンズのベンチコーチ兼打撃コーチに就任した[10]。
2023年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシックでは、オーストラリア代表監督としてベスト8の記録を残した[11]。
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1992 | MIL | 51 | 183 | 164 | 15 | 38 | 8 | 0 | 4 | 58 | 25 | 2 | 2 | 2 | 0 | 17 | 1 | 0 | 18 | 1 | .232 | .304 | .354 | .658 |
1993 | 100 | 340 | 296 | 35 | 76 | 10 | 2 | 7 | 111 | 40 | 3 | 6 | 4 | 3 | 37 | 5 | 0 | 36 | 10 | .257 | .336 | .375 | .711 | |
1994 | 109 | 440 | 397 | 51 | 109 | 28 | 3 | 12 | 179 | 69 | 1 | 0 | 1 | 8 | 34 | 9 | 0 | 61 | 7 | .275 | .326 | .451 | .777 | |
1995 | 81 | 294 | 263 | 41 | 73 | 12 | 1 | 12 | 123 | 53 | 2 | 0 | 0 | 5 | 24 | 4 | 2 | 41 | 9 | .278 | .337 | .468 | .804 | |
1996 | 123 | 516 | 453 | 81 | 150 | 33 | 2 | 17 | 238 | 84 | 2 | 3 | 0 | 3 | 57 | 6 | 3 | 68 | 4 | .331 | .407 | .525 | .932 | |
1997 | 156 | 629 | 554 | 71 | 154 | 33 | 0 | 20 | 247 | 81 | 2 | 3 | 1 | 7 | 65 | 8 | 2 | 88 | 7 | .278 | .352 | .446 | .798 | |
1998 | 102 | 347 | 309 | 39 | 83 | 14 | 1 | 12 | 135 | 56 | 2 | 2 | 2 | 2 | 33 | 1 | 1 | 48 | 12 | .269 | .339 | .437 | .776 | |
1999 | 115 | 404 | 343 | 56 | 106 | 19 | 1 | 21 | 190 | 62 | 1 | 2 | 2 | 4 | 53 | 6 | 2 | 64 | 7 | .309 | .400 | .554 | .954 | |
2000 | 中日 | 18 | 63 | 61 | 5 | 11 | 2 | 0 | 1 | 16 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 16 | 2 | .180 | .206 | .262 | .469 |
MLB:8年 | 837 | 3153 | 2779 | 389 | 789 | 157 | 10 | 105 | 1281 | 470 | 15 | 18 | 12 | 32 | 320 | 40 | 10 | 424 | 57 | .284 | .356 | .461 | .817 | |
NPB:1年 | 18 | 63 | 61 | 5 | 11 | 2 | 0 | 1 | 16 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 16 | 2 | .180 | .206 | .262 | .469 |