ダーティ・ホワイト・ボーイ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ダーティ・ホワイト・ボーイ アンクル・クレタス T・L・ホッパー グラップラー2号 マイティ・ヤンキー トニー・アンソニー |
本名 | ダレル・W・アンソニー |
身長 | 178cm[1] - 182cm[2] |
体重 | 107kg[1] - 128kg[2] |
誕生日 | 1960年4月12日(64歳)[3] |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州 ノックス郡ノックスビル[3] |
トレーナー | スティーブ・カーン[1] |
デビュー | 1980年[1] |
トニー・アンソニー(Tony Anthony、本名:Darrell W. Anthony、1960年4月12日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州ノックスビル出身[3]。
ダーティ・ホワイト・ボーイ(Dirty White Boy)のリングネームで知られ、地元テネシーの各団体を主戦場にヒールのラフファイターとして活動した[1]。
1980年10月にデビュー後、地元のノックスビルでブラックジャック・マリガンとリック・フレアーが手掛けていたサザン・チャンピオンシップ・レスリング(ジム・クロケット・プロモーションズの下部テリトリー)にTVテーピングのジョバーとして出場。フレアー、バリー・ウインダム、ビッグ・ジョン・スタッドらのスカッシュ・マッチ用のジョブ・ボーイを務めた[4]。
1982年12月、サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングにおいて、ザ・グラップラーことレン・デントンのパートナーとなり、覆面レスラーのグラップラー2号(Grappler #2)に変身。1号のデントンとの「ザ・グラップラーズ」として、1983年1月15日にリッキー・モートン&ケン・ルーカスを破ってSCWサウスウエスト・タッグ王座を獲得[5]。ダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&タリー・ブランチャード)やニュー・シープハーダーズ(ルーク・ウィリアムス&ジョナサン・ボイド)ともタイトルを争った[5]。
1983年5月からはメンフィスのCWAにも参戦して、ロックンロール・エクスプレスと抗争[6]。8月1日にはファビュラス・ワンズ(スティーブ・カーン&スタン・レーン)からAWA南部タッグ王座を奪取している[7]。カンザスシティのCSWでは1984年4月12日にオーツ・ブラザーズ(ジェリー・オーツ&テッド・オーツ)、7月26日にアップタウン・ボーイズ(マーティ・ジャネッティ&トミー・ロジャース)を破り、NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を2回獲得した[8]。
デントンとのチームを解消後は素顔に戻り、ダーティ・ホワイト・ボーイ(Dirty White Boy)を名乗ってアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。1986年11月3日、ウェンデル・クーリーを下してフラッグシップ・タイトルのNWAアラバマ・ヘビー級王座を奪取[9]。以降もボブ・アームストロングやトム・プリチャードを破り、1988年3月にかけて同王座を通算4回獲得した[9]。タッグではジェリー・スタッブスをパートナーに、ロバート・フラー&ジミー・ゴールデンとNWAコンチネンタル・タッグ王座を争った[10]。
1989年4月よりCWAに復帰して、後継団体のUSWAにも継続参戦。同年10月2日、トーナメント決勝でダスティン・ローデスを破り、新設されたUSWA南部ヘビー級王座(後のUSWAヘビー級王座)を獲得した[11]。USWAではエディ・ギルバートやダグ・ギルバートとも共闘して、ビル・ダンディー、ジェフ・ジャレット、スティーブ・ドール、レックス・キングらと抗争を展開した[12][13]。
1992年2月からはジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングに主戦場を移して、8月8日にブライアン・リーからSMWヘビー級王座を奪取[14]。1993年9月13日にはロバート・ギブソンを破りTV王座も獲得[15]。1994年7月5日にはジェイク・ロバーツを下してSMWヘビー級王座に返り咲き、1995年1月28日にジェリー・ローラーに敗れるまで戴冠した[14]。タッグではトレイシー・スマザーズをパートナーに、1995年7月6日にアル・スノー&ユナボムからSMWタッグ王座を奪取している[16]。
1996年6月より、T・L・ホッパー(T. L. Hopper)のリングネームでWWFに登場[17]。トイレの配管工をギミックに、垂れ下がったズボンと汚れたアンダーシャツを着た肥満体のヒールとして前座戦線で活動[18]。試合に勝利した後は、ベッツィー(Betsy)と名付けられたラバーカップを対戦相手の顔に押しつけるなどの行為を見せた[18]。ハウス・ショーではロッキー・メイビアやディーゼルとも対戦している[19][20]。1997年9月からは、オーバーオールを身に着けた農夫スタイルのアンクル・クレタス(Uncle Cletus)に変身し、ヒールターンしていたザ・ゴッドウィンズ(ヘンリー・O・ゴッドウィン&フィニアス・I・ゴッドウィン)のマネージャーを担当した[1]。
1998年にWWFを離脱した後は、ノースカロライナのニュー・ディメンション・レスリングを経て、自身も運営に携わっていたノックスビルのテネシー・マウンテン・レスリングに2005年まで出場していた[21]。