トニー・ダグラス

トニー・ダグラス
Toney Douglas
アナドル・エフェスSKでのダグラス(2018年)
S.L.ベンフィカ(バスケットボール)  No.33
ポジション PG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1986-03-16) 1986年3月16日(38歳)
出身地 フロリダ州の旗 フロリダ州タンパ
身長 188cm (6 ft 2 in)
体重 84kg (185 lb)
ウィングスパン 194cm  (6 ft 5 in)
キャリア情報
出身 フロリダ州立大学
ドラフト 2009年 29位
選手経歴
2009-2012
2012-2013
2013
2013-2014
2014
2014-2015
2015-2016
2016-2017
2017-2018
2018
2018-2019
2019-2020
2020-2021
2021-2022
2022
2022-2024
2024-
ニューヨーク・ニックス
ヒューストン・ロケッツ
サクラメント・キングス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
マイアミ・ヒート
中華人民共和国の旗 江蘇ドラゴンズ
ニューオーリンズ・ペリカンズ
メンフィス・グリズリーズ
トルコの旗 アナドル・エフェスSK
トルコの旗 サカリヤ BB
中華人民共和国の旗 ダルサファカ
スペインの旗 CBエストゥディアンテス
イタリアの旗 パラカネストロ・ヴァレーゼ
ギリシャの旗 イラクリス B.C.
イスラエルの旗 ハポエル・エイラート
ポルトガルの旗 ベンフィカ
ポルトガルの旗 FCポルト
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

トニー・ダグラス (Toney Bernard Douglas 1986年3月16日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身、ジョージア州ジョーンズボロ育ちのプロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード

来歴

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ジョージア州のジョーンズボロ高校時代は、アメリカンフットボールバスケットボールの両方のスポーツで活躍した二刀流選手だった。オーバーン大学に進学後にバスケットボールに専念。2005年にフロリダ州立大学に転校し、NCAAの規定により翌2006年より公式戦出場が認められ、同大学の主力として活躍。2009年のNBAドラフトでは、ロサンゼルス・レイカーズから29位で指名されるも、交渉権はすぐさまニューヨーク・ニックスに移動[1]。2010-11シーズンに頭角を表し、81試合に出場。プレーオフのボストン・セルティックス戦も4試合中3試合に先発出場するなど期待されていたが、その後ニックスはシーズンオフにバロン・デイビスマイク・ビビーと契約。更に2011-12シーズンにはジェレミー・リンのよる "リンサニティー現象" でダグラスの居場所は 無くなり、2012年夏にマーカス・キャンビーとのトレードでヒューストン・ロケッツに移籍[2]。しかし、新天地でも同じくロケッツに移籍してきたジェレミー・リンの後塵を拝し、2013年2月のトレード期限日にサクラメント・キングスに放出された。

2013-14シーズンはゴールデンステート・ウォリアーズマイアミ・ヒートでプレー。2014-15シーズンは中国でプレーし、シーズン終了後の2015年2月に10日間契約ニューオーリンズ・ペリカンズに加入[3]。そのままシーズン終了までの契約を勝ち取り、ペリカンズの2011年以来のプレーオフ進出を後押し。シーズン終了後に解雇され、2015-16シーズン開幕前はインディアナ・ペイサーズのトレーニングキャンプに参加していたものの解雇され、開幕後にタイリーク・エバンスドリュー・ホリデーノリス・コールクインシー・ポンデクスターなど負傷者が続出したペリカンズに呼び戻された[4]

2016-17シーズンは、開幕前にクリーブランド・キャバリアーズのキャンプに参加するも解雇。2016年12月5日、メンフィス・グリズリーズは、マイク・コンリー脊髄を骨折する重傷を負った関係で、ハードシップ例外条項を行使し、ダグラスと契約[5]。15日に解雇。翌年1月29日に10日間契約で再契約した。

国外でのキャリア(2017-)

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ベンフィカ(2022-2024)

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2022年8月14日、ポルトガルのトップリーグであるリーガ・ポルトゲーサ・デ・バスケットボールに所属するベンフィカとの契約が発表された[6][7]

FCポルト(2024-)

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2024年8月10日、FCポルトへの加入が発表された[8]

家族

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脚注

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外部リンク

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