Tony Pashos | |||||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||||
ポジション | オフェンシブタックル | ||||||||||||||
生年月日 | 1980年8月3日(44歳) | ||||||||||||||
出身地 |
![]() イリノイ州パロスハイツ | ||||||||||||||
身長: | 6' 6" =約198.1cm | ||||||||||||||
体重: | 325 lb =約147.4kg | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
大学 | イリノイ大学 | ||||||||||||||
NFLドラフト | 2003年 / 5巡目全体173位 | ||||||||||||||
初出場年 | 2004年 | ||||||||||||||
初出場チーム | ボルチモア・レイブンズ | ||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||||
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Player stats at PFR |
トニー・パショス(Tony Pashos 1980年8月3日- )はイリノイ州パロスハイツ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはオフェンシブタックル。
イリノイ州パロスハイツで生まれた彼は、同州ロックポートの高校に進学し[1]、1998年に卒業した。
イリノイ大学では右タックルとして全47試合に先発出場、3年次、4年次の2年間、ビッグ・テン・カンファレンスのファーストチームに選ばれた[2]。
2003年のNFLドラフト5巡でボルチモア・レイブンズに指名されて入団した。レイブンズで4シーズン所属し先発23試合を含む38試合に出場した。2006年にはレイブンズは、NFL2位の17サックしか相手ディフェンスに許さなかった[2]。
2006年シーズン終了後、無制限フリーエージェントとなった彼は2007年3月2日、ジャクソンビル・ジャガーズと契約を結んだ[3]。
ジャガーズでは2007年、先発15試合を含む全16試合に出場した。この年、ジャガーズはランオフェンスで、AFCトップの2,391ヤードを獲得した[2]。
2008年、全スナップで右タックルとして出場、プレーオフ2試合にも出場した[2]。
2009年9月6日、シーズン開幕前にジャガーズより解雇された。ジャガーズはこの年、ユージン・モンロー、エベン・ブリットン、トラ・トーマスを獲得していた[4]。翌9月7日、サンフランシスコ・フォーティナイナーズと契約を結んだ[5]。同年10月25日、左肩甲骨を骨折、シーズン絶望となった彼は、翌日故障者リスト入りした[6]。
2010年3月7日、クリーブランド・ブラウンズと3年1030万ドルで契約を結んだ[7]。
2012年3月手術を受けた彼は、3月12日、ブラウンズから解雇された[8]。ブラウンズでは2年間で先発15試合を含む18試合に出場した[2]。
2013年3月、ワシントン・レッドスキンズと契約を結んだが[2]、8月31日に最終ロースターカットで解雇された[9]。 その後、9月2日、オークランド・レイダースと契約し、アレックス・バロンの代わりにアクティブロースターに加わった[10]。
ギリシャ移民の子どもであり、英語、ギリシャ語、ドイツ語を話すことができる。
2012年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党のロン・ポールを支援した[11]。