トニー・リーヴス

トニー・リーヴス
Tony Reeves
出生名 Anthony Robert Reeves
生誕 (1943-04-18) 1943年4月18日(81歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド サウスイースト・ロンドン、ニュー・エルサム
ジャンル ジャズプログレッシブ・ロック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ベースコントラバス
共同作業者 ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズコロシアムグリーンスレイドカーヴド・エア

トニー・リーヴスTony Reeves1943年4月18日 - )は、イングランドのベーシスト/コントラバス奏者であり、「非常に際立った複雑なベース・サウンド」[1]と電子効果の使用で有名である。

ロックバンドコロシアムグリーンスレイドのオリジナル・メンバーとして知られる。

イギリスのサウンド・テクノロジー企業であるMTR Professional Audioの責任者でもあり、30年近く事業を行っている[2]

略歴

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リーヴスはサウスイースト・ロンドンのニュー・エルサムで生まれた。10代の頃、オーケストラのコントラバスを学び、ルイシャムにあるコルフェス・グラマー・スクールの同級生[3]だったデイヴ・グリーンスレイド(キーボード)とジョン・ハイズマン(ドラムス)と地元のジャズ志向のグループ(時にはウェス・ミンスター・ファイヴ)で共演した。

ジャズに熱心なリーヴスはニュー・ジャズ・オーケストラで演奏し、多くのスタンダード・ナンバーを学んだ。彼は音楽業界で数年間働いており、最初はデッカ・レコードの品質管理部門で中世のクラシック音楽からチャビー・チェッカーまで様々な音源を聴き、トニー・ダマトのアシスタント・プロデューサーを務め、4年後、パイ・レコードのレコード・プラガー(販促担当)となった。

1964年後半、彼はパイのためのリリースを提案し、演奏を行い、Sounds Orchestralの「Cast Your Fate to the Wind」というインストゥルメンタルの全英ヒットを出した[4]。彼はパイでトニー・ハッチのアシスタントとなり、その後、CBSやポリドールにおけるフリーランスのプロデューサーとなり、グリニッジ・グラモフォン・カンパニーのクリエイティブ・ディレクターとなった。また1965年にマイク・テイラー・カルテット[注釈 1]のメンバーとしてアルバム『Pendulum』[5]をレコーディングし、デイヴィ・グレアムのアルバム『フォーク、ブルース&ビヨンド』(1965年)と『ミッドナイト・マン』(1966年)のレコーディングに参加した[6]

彼はその後まもなく、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに加入したハイズマンがジョン・メイオールに彼を推薦する直前に、エレクトリックベースを弾くようになった。1967年、ジョン・マクヴィーの後任としてザ・ブルースブレイカーズに加入し、メイオール、ハイズマン、ディック・ヘクストール=スミス(サクソフォーン)、ミック・テイラー(ギター)らとアルバム『ベア・ワイヤーズ』(1968年)をレコーディングした。そして同年、ハイズマン、グリーンスレイド、ヘクストール=スミスらとコロシアムを結成した[1]

彼は2枚のアルバムの制作に参加した後、セッション仕事とプロデュースに専念するためコロシアムを脱退した。後は、ウッズ・バンド、サンディ・デニー(『海と私のねじれたキャンドル』)、ポール・ケント、ジョン・マーティン(『Bless the Weather』[7])、デイ・オブ・フェニックス、デンマークのバーニング・レッド・アイヴァンホー、クリス・デ・バーと共に演奏した。1972年にはデイヴ・グリーンスレイドに再び合流してグリーンスレイドを結成した。

リーヴスは1974年までグリーンスレイドに籍を置き、3枚のアルバムのレコーディングに参加した。脱退はコロシアムの時と同様、プロデューサーとしてのキャリアに集中したいという願望によるものだった[8]

1973年、マイク・テイラーへのトリビュート・アルバム『マイク・テイラー・リメンバード』[9][注釈 2]で、ニール・アードレイ、ハイズマン、イアン・カーバーバラ・トンプソン、その他の現代ブリティッシュ・ジャズの名だたるプレーヤーたちと共演。1975年から1976年までロック・バンドのカーヴド・エアに在籍[注釈 3]。元コロシアムのヘクストール=スミスと元カーヴド・エアのミック・ジャック(ギター)と結成したジャズ・バンドのビッグ・チーフで演奏した。

彼は今でもビッグ・チーフ、ブルー・アンバ (Blue Amba)、ザ・ウォーソッグス (The Warthogs)と共演していて、隔週火曜日にセラーバーのカムデンタウン(デイヴィ・グレアムの地元)にある会員制パブでコントラバスを演奏している。そこで彼はマルチ・インストゥルメンタル奏者でソングライターのJC・キャロルと出会い、散発的に一緒に演奏したりレコーディングを行っている。彼等はアスコットにおける最初のショーで一緒にライブ・アルバムを録音した。彼等は、価値あるアコースティックなアルバムを探求するという拡張されたラーガに取り組んでいると理解されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ テイラー(ピアノ)、リーヴス(ベース)、ジョン・ハイズマン(ドラムス)、デイヴ・トムリン(サクソフォーン)。
  2. ^ 2007年、独立レーベル「Dusk Fire Records」から発表された。
  3. ^ アルバム『エアボーン』(1976年)に参加。リーブスはベースとキーボードを担当した。メンバーにはダリル・ウェイソーニャ・クリスティーナ、ミック・ジャック、スチュアート・コープランドがいた。

出典

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  1. ^ a b Answers.com”. Answers.com. 2011年7月20日閲覧。
  2. ^ Curvedair, Tony”. Curvedair.com. 2011年7月20日閲覧。
  3. ^ Dmitry M. EPSTEIN Copyright 2003 - dmitry at epstein.to. “Interview at”. Dmme.net. 2011年7月20日閲覧。
  4. ^ Discogs”. 2024年9月8日閲覧。
  5. ^ Discogs”. 2024年9月7日閲覧。
  6. ^ Personal at inet.fi”. Personal.inet.fi (1968年5月2日). 2011年7月20日閲覧。
  7. ^ Discogs”. 2024年9月8日閲覧。
  8. ^ Dome, Malcolm [in 英語] (2018). Spyglass Guest (Booklet). Greenslade. Cherry Red Records Ltd. pp. 4–11.
  9. ^ Discogs”. 2024年9月7日閲覧。

外部リンク

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