トマス・グレイ (第2代スタンフォード伯爵)

ジョナサン・リチャードソンによる肖像画、1700年代。

第2代スタンフォード伯爵トマス・グレイ英語: Thomas Grey, 2nd Earl of Stamford PC FRS1654年1720年1月31日)は、イギリスの貴族、政治家。

生涯

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トマス・グレイ英語版とドロシー・バウチャー(Dorothy Bourchier)の息子として、1654年に生まれた[1]。1657年に父が死去した[1]。1667年7月1日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1668年6月23日にM.A.の学位を修得した[2]。1673年7月21日に祖父にあたる初代スタンフォード伯爵ヘンリー・グレイ英語版が死去すると、スタンフォード伯爵の爵位を継承した[1]

イングランド王チャールズ2世の恣意的な施策に対抗しようとしたが、1685年7月に逮捕される憂き目に遭い、釈放された後はオラニエ公ウィレム3世に味方した[3]名誉革命の後は1694年に枢密顧問官[2]、1696年にデヴォン統監英語版[4]、1697年にランカスター公領大臣に、1699年に第一商務卿に就任したが、1702年にアン女王が即位すると罷免された[3]。その後、1707年から1711年まで第一商務卿を再任した[3]。また、1689年3月25日から1702年8月22日までレスターシャー首席治安判事英語版を、1696年4月24日から1711年1月30日までデヴォン首席治安判事英語版を務めた[5]

1708年5月12日、王立協会フェローに選出された[4]

1720年1月31日に死去、息子がいなかったため従弟ヘンリー(叔父ジョンの息子)が爵位を継承した[1]

家族

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エリザベス・ハーヴィー(Elizabeth Harvey、1687年没、ダニエル・ハーヴィーの娘)と結婚したが子供はなく、続いてメアリー・メイナード(Mary Maynard、1722年11月9日没、ジョセフ・メイナード)と再婚したが、子供は儲けなかった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1892.
  2. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). "Greenhill-Gysby". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 600–625.
  3. ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Stamford, Henry Grey, 1st Earl of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 25 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 769.
  4. ^ a b "Grey; Thomas (1654 - 1720); 2nd Earl of Stamford". Record (英語). The Royal Society. 2019年6月22日閲覧
  5. ^ Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月13日閲覧

関連図書

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公職
先代
ウィラビー・デ・エアズビー男爵
ランカスター公領大臣
1697年 – 1702年
次代
ジョン・ルーソン=ゴア英語版
先代
ブリッジウォーター伯爵
第一商務卿
1699年 – 1702年
次代
ウェイマス子爵英語版
先代
ウェイマス子爵英語版
第一商務卿
1707年 – 1711年
次代
ウィンチルシー伯爵
名誉職
先代
ハンティンドン伯爵英語版
レスターシャー首席治安判事英語版
1689年 – 1702年
次代
ラトランド伯爵英語版
先代
バース伯爵英語版
デヴォン統監英語版
1696年 – 1702年
次代
ポーレット伯爵
デヴォン首席治安判事英語版
1696年 – 1711年
イングランドの爵位
先代
ヘンリー・グレイ英語版
スタンフォード伯爵
1673年 – 1720年
次代
ヘンリー・グレイ