トミー・ロジャース | |
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プロフィール | |
リングネーム | トミー・ロジャース |
本名 | トーマス・R・カウチ[1] |
ニックネーム | ザ・ファンタスティック |
身長 | 175cm[2] |
体重 | 100kg(全盛時)[2] |
誕生日 | 1961年5月14日[1] |
死亡日 | 2015年6月1日(54歳没)[2][3] |
出身地 |
![]() ![]() マナティ郡ブレイデントン[1][2] |
スポーツ歴 | レスリング[2] |
トレーナー |
ジャック・ブリスコ[2] ジェリー・ブリスコ[2] バズ・ソイヤー[2] |
デビュー | 1980年[2] |
引退 | 2007年[2] |
トミー・ロジャース(Tommy Rogers、本名:Thomas R. Couch、1961年5月14日 - 2015年6月1日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー[1]。フロリダ州ブレイデントン出身[1][2]。
ボビー・フルトンとのタッグチーム、ザ・ファンタスティックスでの活躍で知られる[4]。マーティ・ジャネッティとのアップタウン・ボーイズで活動したトミー・ロジャース(トミー・レーン)とは別人[5]。
1980年のデビュー後、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのTVテーピング番組におけるジョバー要員として、オースチン・アイドル、ケビン・サリバン、マスクド・スーパースター、ザ・ファンクス、ザ・グレート・カブキ、オレイ・アンダーソン、スタン・ハンセンなど、大物ヒールのジョブ・ボーイを務めながらキャリアを積む[6][7]。
1983年5月2日、アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにおいて、ビル・アッシュを破りNWA USジュニアヘビー級王座を獲得[8]。翌月にチック・ドノバンに奪取されるも、8月にテネシー州メンフィスのCWAに転戦した際、CWA版のUSジュニアヘビー級王者に認定され、ココ・B・ウェアやビル・ダンディーともタイトルを争った[9]。
1984年7月、ビル・ワットが主宰していたMSWAにおいて、ボビー・フルトンをパートナーにアイドル系タッグチームのザ・ファンタスティックス(The Fantastics)を結成[10]。以降、女性や子供のファンからの大きな支持に支えられ、WCCW、CWA、UWF、MACWなど、各団体でタッグ王座を獲得[10]。日本では全日本プロレスのマットで活躍した[3]。
ファンタスティックス解散後は、1997年から1999年にかけて、シングルプレイヤーとしてECWに参戦[11]。1998年11月1日のPPV "November to Remember" ではFBIのトレイシー・スマザーズから勝利を収めた[12]。11月20日にはペンシルベニア州レバノンでのイベントにおいて、シェーン・ダグラスが保持していたECW世界ヘビー級王座に挑戦している[13]。
2000年代に入ってセミリタイアするも、2004年3月にはIWAジャパンにフルトンとのファンタスティックスとして久々に来日[11]。3月16日の八王子大会では上野幸秀を破り、IWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した[14]。
2005年1月29日、地元フロリダのタンパで開催されたイベント "WrestleReunion" にもフルトンとのファンタスティックスで出場[15]。同じく往年のアイドル系タッグチームだったロックンロール・エクスプレスのリッキー・モートン&ロバート・ギブソンとカルテットを組み、双方にとっての宿敵ミッドナイト・エクスプレスのデニス・コンドリー、ボビー・イートン、スタン・レーンと対戦したが、これが公式での最後の試合出場となった[11]。
2015年6月1日、居住地のハワイにおいて死去[16]。54歳没[3]。彼の死は、パートナーだったフルトンによって発表された[16]。