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名前 | ||||||
ラテン文字 | Tom Sermanni | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スコットランド | |||||
生年月日 | 1954年7月1日(70歳) | |||||
出身地 | グラスゴー | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | ミッドフィルダー | |||||
ユース | ||||||
1971-1973 | カンバーノールド・ユナイテッドFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1973-1978 | アルビオン・ローヴァーズFC | 151 | (38) | |||
1978-1979 | ブラックプールFC | 10 | (0) | |||
1979-1982 | トーキー・ユナイテッドFC | 89 | (12) | |||
1983 | ダンファームリン・アスレティックFC | 5 | (0) | |||
1983 | マルコーニ・スタリオンズFC | |||||
1984-1987 | キャンベラ・シティFC | 57 | (7) | |||
1988-1989 | キャンベラ・クロアチアFC | |||||
監督歴 | ||||||
1988-1991 | キャンベラ・クロアチアFC/メトロス | |||||
1989-1991 | オーストラリア男子学生選抜 | |||||
1991-1993 | AISサッカー男子 | |||||
1993-1994 | シドニー・オリンピックFC | |||||
1994-1996 | オーストラリア(女子) | |||||
1997-1998 | サンフレッチェ広島ヘッドコーチ兼サテライト監督 | |||||
1999-2001 | キャンベラ・コスモスFC | |||||
2001-2002 | サンノゼ・サイバーレイズアシスタント | |||||
2002-2003 | ニューヨーク・パワー | |||||
2003 | サラワクFA | |||||
2005-2012 | オーストラリア(女子) | |||||
2013-2014 | アメリカ合衆国(女子) | |||||
2014- | カナダ(女子) 技術コンサル | |||||
2015 | カナダ(女子) アシスタント | |||||
2016-2018 | オーランド・プライド | |||||
2018-2021 | ニュージーランド(女子) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
トーマス・ドルビー・サーマンニ(Thomas Dorby Sermanni [1]、1954年7月1日 - )は、スコットランド・グラスゴー出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。なお姓は「セルマンニ」[2] とも、「セルマーニ」[1]とも表記される。
ケニー・ダルグリッシュを輩出したカンバーノールド・ユナイテッドFC出身[3]。
スコットランドのアルビオン・ローヴァーズFCでリーグ戦デビューし、その後スコットランドやイングランドのリーグで過ごした[3]。1983年オーストラリアのクラブチームに移籍し、マルコーニ・スタリオンズFCでプレー、翌1984年からキャンベラのクラブである、キャンベラ・シティFC、キャンベラ・クロアチアFCに在籍、1989年に現役引退した[3]。
現役晩年であるキャンベラ・クロアチアで指導者としてのキャリアを始め、オーストラリア男子学生選抜やオーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)などで指導経験を積んだ[3]。
1994年、オーストラリア女子代表監督に抜擢され、1995 FIFA女子ワールドカップにオセアニア代表として初出場した[3]。
1997年、オーストラリア男子A代表監督のエディ・トムソンがJリーグ・サンフレッチェ広島監督に就任したことに伴い、同行する形でヘッドコーチ兼サテライト監督として広島に入団し、2年間在籍した[1][3][4]。
1999年、キャンベラ・コスモスFC監督に就任[1][3]、その監督業の傍らシドニー五輪の競技担当部長を行っていた。
2001年、アメリカ合衆国に渡り、アメリカ女子サッカーリーグのサンノゼ・サイバーレイズでアシスタントコーチ、2002年ニューヨーク・パワー監督に就任した[3]。ニューヨークは前年リーグ8チーム中最下位に低迷していたが5位にまで立て直した[5][6]。同シーズン末にリーグが休止しチームは活動停止している[4]。
2003年、短期間ながらマレーシアのサラワクFAで指導している(監督かコーチかは不明)[3][4]。
2005年、オーストラリア女子代表監督に復帰し、AIS女子サッカー部門も統括することになった[3][4]。監督として、2006 AFC女子アジアカップ準優勝、2008 AFC女子アジアカップ4位、2010 AFC女子アジアカップ優勝。FIFA女子ワールドカップも3大会連続で出場、2007 FIFA女子ワールドカップでは決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、同年のアジアサッカー連盟年間最優秀監督賞(女子部門)に選ばれている[3]。 2012年11月、アメリカ合衆国サッカー連盟からオファーが来たため、オーストラリア代表監督を辞任した[3]。
2013年、サッカーアメリカ合衆国女子代表監督に就任する[3]。この年、アメリカ代表は16戦13勝3分と無敗記録を伸ばしている[7]。ただ2014年アルガルヴェ・カップ2014では1分2敗でグループリーグ最下位での敗退となったことから、同年4月解任された[8]。
その後、カナダ女子代表のテクニカルスタッフとなり、2015年カナダ開催の2015 FIFA女子ワールドカップではカナダ代表アシスタントコーチとしてベンチ入りしている[9] [10]。
2015年10月、アメリカ女子プロサッカーリーグ・NWSLに2016年度より新規参入することになったオーランド・プライドの初代監督に就任した[11]。
2018年10月、ニュージーランド女子代表監督に就任し、2019 FIFA女子ワールドカップで同国を率いた[12]。