トレイシー・スマザーズ | |
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2005年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
トレイシー・スマザーズ フレディ・ジョー・フロイド シャキール・アリ ニュー・ジェイソン・ザ・テリブル |
本名 | トレイシー・スマザーズ |
ニックネーム |
ザ・メイン・マン ワイルド・アイド・サザン・ボーイ |
身長 | 185cm - 187cm |
体重 | 102kg - 106kg |
誕生日 | 1962年9月2日 |
死亡日 | 2020年10月28日(58歳没)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州 デイヴィッドソン郡ナッシュビル |
トレーナー |
スティーブ・カーン スタン・レーン |
デビュー | 1982年 |
トレイシー・スマザーズ("The Main Man" Tracy Smothers、1962年9月2日 - 2020年10月28日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州アトランタ生まれ、テネシー州ナッシュビル出身。
若手選手時代はアイドル系のベビーフェイスとして活躍し、キャリアを積んでからはハードコア・レスリングにも対応できる技巧派の中堅ヒールとなって各団体に参戦した[2]。トレーナーとしても、数々のレスラーを指導している[3]。
ファビュラス・ワンズのコーチを受け、1982年にデビュー[2]。地元テネシー州メンフィスのCWAにて活動後、1987年にボブ・アームストロングの息子スティーブ・アームストロングをパートナーに、NWAフロリダ地区でサザン・ボーイズ(The Southern Boys)を結成。ベビーフェイスの若手タッグチームとして、テネシーやアラバマなどの南部を主戦場に活躍した。
1988年7月には揃って新日本プロレスに初来日。軽快な空中殺法とイキのいいファイトスタイルで好評を博し[4]、同年11月の『'88ジャパンカップ・シリーズ』では、ジョージ高野を加えたトリオでエリミネーション方式の6人タッグ・リーグ戦に参加した[5]。1989年4月の来日時は、和歌山にてアントニオ猪木とのシングルマッチも行われている[6]。
1990年、ヤング・ピストルズ(The Young Pistols)のチーム名でWCWに進出し、ミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&スタン・レーン)やファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を相手に抗争を展開[7]、1991年11月5日にはUSタッグ王座を獲得、1992年1月14日にロン・シモンズ&ビッグ・ジョッシュに敗れるまでタイトルを保持した[8]。
アームストロングとのコンビ解散後は、ジム・コルネットが主宰していたノックスビルのスモーキー・マウンテン・レスリングに参戦。"The Wild Eyed Southern Boy" をニックネームに、プライムタイム・ブライアン・リーやクリス・キャンディードと抗争した[2]。その間、1993年1月にジェイソン・ザ・テリブル(ラファエル・ロドリゲス)の偽者に変身してW★INGプロモーションに来日[9]。11月には全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』にリチャード・スリンガーと組んで出場している[10]。
1995年はIWAジャパンに来日し、9月29日にカクタス・ジャックとのコンビでザ・ヘッドハンターズから世界タッグ王座を奪取[11]。同時期、アメリカでは当時WWFのマイナーリーグ的な団体になっていたUSWAを主戦場に活動、1996年にはシャキール・アリ(Shaquille Ali)なるイスラム名のヒールとなり、PG-13(J・C・アイス&ウルフィー・D)、サー・モハメッド、クイーン・モイシャらによるネーション・オブ・ドミネーションに加入[12]。同年下期からはWWFにも出場したが、ファルークをリーダーに再編されたWWF版ネーション・オブ・ドミネーションのメンバーには起用されず、フレディ・ジョー・フロイド(Freddie Joe Floyd)のリングネームでベビーフェイスに戻り、ベイダー、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、マンカインド、ハンター・ハースト・ヘルムスリーらのジョバーを務めた[2][13]。
1997年、リングネームをトレイシー・スマザーズに戻し、"The Main Man" のニックネームでECWに登場。イタリア系の出自ではないのにもかかわらず、フル・ブラッデッド・イタリアンズに加入して再びヒールに転向する(自身のホームタウンであるテネシー州ナッシュビルをイタリアの都市だと主張し、出身地を "Nashville, Italy" としていた)[14]。以後、タッグパートナーのリトル・グイドーおよびマネージャーの "ザ・ビッグ・ドン" トミー・リッチとのトリオで活動し、同年10月18日にはグイドーとのコンビでニュー・ジャック&ジョン・クローナスからECW世界タッグ王座を奪取した[15]。
ECWには2000年まで在籍し、同年4月にはFMWに来日[16]。以降はXPWやIWAミッドサウスなど各地のインディー団体を転戦して、2005年はシェーン・ダグラスがプロデュースしたECWのリユニオン・イベント "Hardcore Homecoming" に連続参加[2]。2007年からはインセイン・クラウン・ポッシーが主宰するJCWに参戦した。
2008年8月6日、金村キンタローが設立したXWFの後楽園ホールでの旗揚げ戦に出場。レイヴェン&スーパー・レザーフェイスと組んでの6人タッグマッチで金村&田中将斗&黒田哲広と対戦した[17]。2010年8月8日にはTNAの主催によるECWリユニオン興行 "Hardcore Justice" にて、グイドーやトニー・ママルークとフル・ブラッデッド・イタリアンズを再結成した[18]。
2017年11月23日、横浜ラジアントホールで行われた佐藤淳一レフェリーの引退記念興行に出場のため9年ぶりに来日。ダグ・ギルバートとタッグを組み、ザ・グレート・カブキ&井上雅央と対戦した[19]。
晩年は悪性リンパ腫で闘病を続けていたが、2020年10月28日、58歳で死去[20][1]。
女子プロレスラーのミッキー・ナックルズがイザベラ・スマザーズ(Isabella Smothers)と名乗り、彼の隠し子という設定のもとJCWやOVWで活動しているが、実際には血縁関係はない。