トンマーゾ1世(イタリア語:Tommaso I, 1239年 - 1296年)は、サルッツォ侯(在位:1244年 - 1296年)。サルッツォ侯マンフレード3世とベアトリーチェ・ディ・サヴォイアの息子。サヴォイア伯アメデーオ4世の外孫にあたる。
トンマーゾ1世の治世下でサルッツォは繁栄し、先祖が得られなかった威厳を手に入れた。トンマーゾ1世は2世紀にわたり変化がなかった領地を拡大させ、カルマニョーラを加えた。また、しばしばアスティと対立し、シャルル・ダンジューとそのイタリア王位継承の主張に対し立ちはだかった。トンマーゾ1世はその在位中にサルッツォを自由都市とし、トンマーゾの名の下に支配する執政長官(Podestà)をおいた。トンマーゾは自身の城と要塞(roccaforti)をしっかりと守り、また複数の町に新たに建設した。
トンマーゾ1世はルイーザ(アロイジア)・ディ・チェーヴァと結婚し、以下の子女をもうけた。
- マンフレード4世(1262年 - 1340年) - サルッツォ侯
- アリーチェ(1292年没) - 8代アランデル伯リチャード・フィッツアランと結婚
- エレオノーラ(1265年以前 - 1315年以降) - サヴォーナ侯コッラード・デル・カッレットと結婚|
- ヴィオランテ(1339年以降没) - オピッツィーノ・スピーノラ(英語版)と結婚、ミラノ僭主ルキーノ・ヴィスコンティと再婚。
- フィリッポ(1324年10月没) - サルデーニャ総督。1292年にシビッラ・ディ・ペラルタ(1321年没)と結婚、1324年にアガルブルサ・ディ・セルベラと再婚。
- ジョヴァンニ(1272/6年 - 1329年以降) - ドリアーニ領主
- ボニファーチョ(1325年頃没) - 修道士
- ジョルジョ(1349年以降没) - 修道士
- ベアトリーチェ
- ルイージア
- アンナ - マンフレード・ベッカリアと結婚
- コスタンツァ - 修道女
- マルゲリータ(1313年以降没) - レヴェッロの修道女
- アリアーナ(1313年以降没) - レヴェッロの修道女
- カタリーナ(1313年以降没) - レヴェッロの修道女
- Chaubet, Daniel (1984). “Une enquête historique en Savoie au XVe siècle” (French). Journal des savants n°1-2: 93-125. doi:10.3406/jds.1984.1477.
- Coke, Karen (2016). “Lambert Barnard, Bishop Shirborn's 'Paynter'”. Art, Literature and Religion in Early Modern Sussex. Routledge