ドディ・ボーイ・ペニャロサ

ドディ・ボーイ・ペニャロサ
基本情報
本名 ディオスダド・ペニャロサ
通称 Dodie Boy
階級 スーパーフライ級
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
誕生日 (1962-11-19) 1962年11月19日(62歳)
出身地 サンカルロスシティ
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 42
勝ち 31
KO勝ち 13
敗け 7
引き分け 2
無効試合 2
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ドディ・ボーイ・ペニャロサDodie Boy Penalosa1962年11月19日 - )は、フィリピンの元プロボクサー。元世界2階級制覇王者(ライトフライ級フライ級)。

ペニャロサ三兄弟の長男であり、次男のジョナサン・ペニャロサはフライ級での世界挑戦経験があり、三男のジェリー・ペニャロサも世界2階級制覇王者。父親のカール・ペニャロサも、藤猛OBF東洋スーパーライト級王座に挑戦経験がある。

来歴

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1982年2月28日、プロデビュー。

1982年11月26日、フィリピンライトフライ級王座を獲得した。

1983年3月18日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で金成南(韓国)と対戦し、11回TKO勝ちで王座を獲得した。

1983年6月11日、佐藤勝美(内野ジム)と対戦し、判定勝ちで初防衛に成功した。

1983年12月10日、初代IBF世界ライトフライ級王座決定戦で新垣諭(奈良池田ジム)と対戦し、12回TKO勝ちで初代王座を獲得した。

1984年5月13日、ソウルの文化体育館で金載弘(韓国)と対戦し、9回KO勝ちを収め初防衛に成功した。

1984年11月26日、崔漸煥(韓国)と対戦し、判定勝ちで2度目の防衛に成功した。

1985年10月12日、ヤニ・ドコラモ(インドネシア)と対戦し、3回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。

1986年7月5日、IBF世界ライトフライ級王座を保持したまま、WBA世界フライ級王者イラリオ・サパタ(パナマ)に挑戦。キャリア初敗戦となる0-3の判定負けを喫し、2階級制覇に失敗した。

1986年10月、IBF世界ライトフライ級王座を返上。

1987年2月23日、IBF世界フライ級王者申喜燮(韓国)と対戦し、5回KO勝ちを収め2階級制覇を達成した。

1987年9月6日、崔昌鎬(韓国)と対戦。試合は一方的に支配していたが、11回2分7秒キャリア初となるKO負けを喫し、初防衛に失敗し王座から陥落した。

1989年11月8日、IBF世界フライ級王者デーブ・マコーリーイギリス)に挑戦し、1-2の判定負けを喫した。

1993年12月14日、ピューマ渡久地(埼玉池田ジム)と対戦し、判定負け。

1995年8月12日の試合を最後に引退した。

引退後はノニト・ドネアのトレーナーを務めていた[1]

獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ Ex-champ Dodie Boy Peñalosa helps Donaire whip into shape”. GMANews.TV (2009年4月13日). 2021年3月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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前王者
N/A
IBF世界ライトフライ級王者

1983年12月10日 - 1986年10月(返上)

次王者
崔漸煥
前王者
申喜燮
IBF世界フライ級王者

1987年2月23日 - 1987年9月6日

次王者
崔昌鎬