現代のドラムコー (Drum Corps) とは、金管楽器と打楽器、シンセサイザー、カラーガードによって構成されるマーチングアンサンブルである。多くの場合、独立した非営利団体として運営され、コンペティション、パレード、フェスティバルなどでパフォーマンスを行う。マーチングバンドの一形態とも言えるが、起源は軍隊における歩調合せ及び信号伝達部隊であり、マーチング活動を行う吹奏楽団(マーチングバンド)とは別の歴史を歩み、今日に至っている。 各団体は概ね8分程度の新しいショーを毎年披露する。クラシック、ジャズ、ビッグバンド、コンテンポラリー、ロック、ラテン音楽、ブロードウェイなど幅広いジャンルがレパートリーに用いられる。
太鼓は、徒歩による行軍中の歩調を統一するため古代ローマ時代から用いられた。信号ラッパは、無線等の通信設備の存在しない時代に、大規模化した軍隊に命令を伝達するための有効な手段であった。その後、訓練の一環として、また公式行事等における儀礼的な演奏を目的として発達してきた。現在では軍隊に留まらず、青少年の健全育成や、社会人の趣味としての音楽活動としても行われている。DCI(Drum Corps International:ドラムコーインターナショナル)と呼ばれる世界大会がある。
「ドラムコー」と称される編成も、厳密には
と区分されるべきであろう。だが今日では単に「ドラムコー」と呼ぶ場合、芸術的に著しい発展を遂げ、かつ、団体数が最も多く、競技会も盛んなドラム・アンド・ビューグル・コーを指すことが一般的になっている。
日本で初めてドラムコーを編成したのは徳川幕府である。黒船来航により西洋式軍隊を必要とした幕府がオランダ海軍に依頼して教育、編成を行った。独特な記譜法による楽譜も作られた。慶応2年には歩操新式という教科書で、鼓笛隊の編成方法が紹介されている。これにより各諸藩にもドラムコーが普及することになる。現在、ドラムコーを所有していた形跡を残しているのは下記の藩である。
下記は幕臣に教わったという記録があり、現在も伝承している組織である。
ドラムコーはその他のマーチングミュージックとは別に、アメリカとカナダの軍隊史に由来する。第一次大戦後から1970年代にかけて各ドラムコーや大会はしばしばVFW、Scout troops、教会、the Royal Canadian Legion、the American Legionなどに支援されてきた。このような背景からドラムコーは伝統的に軍隊的だった。 1960年代後半、各団体はより創作の自由やより良い経済的な支援を求めるようになった。スポンサーの経済的支援が全ての団体に対して公平に保証されていないと感じた者もいた。加えて審査方法が構成や音楽の観点から窮屈だと感じた者もおり、約1000ずつ存在していたアメリカとカナダのドラムコーのうちのいくつかが「unionize」(団結)することを決めた(提唱したのはCaveliersのファウンダーであるDon Warrenである)。彼らは自ら組織を立ち上げ、後のDCA(1965年設立)、DCI(1972年設立)設立の礎を築いた。この時にはすでに多くの団体が教会やコミュニティーのスポンサーを失っている。
生き残った団体にとっては、コンテストの数が減少するにつれ、より長い移動時間が必要になり組織やメンバーの経済的、時間的負担がさらに増した。同時に、年々複雑さを増すショーに対してクリエイティビティやインストラクションの要求が高くなったことから多くの団体の活動が不安定になり解散するケースが増加した。1990年後半時点で60年代、70年代から活動していた団体はごく一部であった。しかしながら新規に創設されたいくつかの団体が成功を納めた。
1960年代後半の伝統的で制限の多いルールから解放され各団体はB♭管楽器の採用、テンポ、複雑で左右非対称なドリルフォーメーション、精巧なカラーガードの衣装やプロップ、大型鍵盤楽器の使用など革新的な変化を起こしてきた。典型的なドラムコーに対する批判はマーチングバンドとの類似点が多すぎることであるが、ごく一部ではあるがDCIでは滅多に見かけないビューグルを使用している団体もあり、この二つの演奏形態は明確に区別されている。
バッテリーと呼ばれる打楽器。屋外で歩きながら演奏することを目的として発展してきた。その後、マーチングバンドにも取り入れられ、現在では、ほぼ同じものが使用されるようになっている。
フロントピットと呼ばれるフロントアンサンブルで使われる主な打楽器。1970年代までは、鍵盤楽器やティンパニーも可搬式のものが用いられていたが、現在では固定された状態で使用される事が多く、管弦楽、吹奏楽で用いられるものと変わらない。
マーチング発祥の地と言われているアメリカに本部を置き、毎年全米規模で決勝の様子がテレビ中継されるほどの人気を誇るDCI World Championshipsでは長年、規定によりビューグルで編成された管楽器セクションを有するドラムコーのみが大会へのエントリーを可能としていたが、音楽表現の観点でのルール改定により、'98年以降のDCI主催の世界大会ではG調以外の金管楽器編成がエントリー可能となり(実際にマーチングブラス編成で大会へ出場する団体が現れ始めたのは'00年以降)、それ以後、毎年決勝まで大会に残り熱戦を繰り広げる団体を初めとしたほぼ全てのドラムコーがB/F調のマーチングブラス編成で大会へエントリーしている。 なお、日本のドラムコーを発展させるため、JMBA(日本マーチングバンド・バトントワーリング協会)とは別軸で設立されたDrum Corps Japan(以下DCJ)が存在する。 DCJ主催の大会ではDCI同様、審査員席で審査するジャッジ以外にもフロアジャッジが存在し、個人の動作技術やフィンガリング、スティックコントロールまで細かく審査される。この審査方法はJapan Cupでも採用されている。 また、DCJが主催する大会ではビューグル編成のバンドとマーチングブラス編成のバンドで部門を分けて審査される。
この審査方法は物議を醸している。そもそも、DCJ設立のバックボーンとなるDCIでは前述にもある通り、1998年頃からマーチングブラスでもエントリーが可能となり、ルール改定後は出場する団体ほとんどがマーチングブラスへと移行しているが、この間、ビューグル編成とマーチングブラス編成で審査が分けられたことは一度もない(これは、2000年の決勝で同点優勝した2つのチームが、それぞれビューグル編成、マーチングブラス編成だったことからも言えることである)。
今日的なドラム・アンド・ビューグル・コーは一般的に、カラーガード(color guard)と呼ばれる、フラッグやライフル、セイバー等の手具を使用して音楽を視覚的に表現するセクションを伴う。
2005年、セイバーに関して国内では銃刀法に触れる事が指摘され、代替の手具による演技が行われていた。
2006年3月、アルミニウム合金製のみ「模造刀剣類」の扱いとして一定の条件の元、所持使用が許可された。
DCI(Drum Corps International:ドラムコーインターナショナル)と呼ばれる組織により、ドラムコーの世界大会が行われている。DCIは青少年の健全育成を目的としており、競技会の参加に関しては21歳までという年齢制限がある。
DCA(Drum Corps Associates:ドラムコーアソシエイツ)と呼ばれる組織により、ドラムコーの競技大会が行われている。DCIと違い、DCAでは競技会の参加に年齢制限を設けていない。
DCJ(Drum Corps Japan:ドラムコージャパン)主催の日本国内大会がある。DCA同様年齢制限は無い。競技部門において、ドラムコーディヴィジョン(管楽器に関して、G基調でフロントベル仕様のビューグルという構成のみ参加が可能。)、エニーキーディヴィジョン(管楽器に関して、G基調以外でフロントベル仕様の金管楽器)がある。