Hochschule für Bildende Künste Dresden | |
種別 | 公立 |
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設立年 | 1764年 |
創立者 | フリードリヒ・アウグスト3世 |
所在地 |
ドイツ ザクセン州ドレスデン 北緯51度03分10秒 東経13度44分33秒 / 北緯51.052842度 東経13.742444度座標: 北緯51度03分10秒 東経13度44分33秒 / 北緯51.052842度 東経13.742444度 |
キャンパス | 都市 |
公式サイト |
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ドレスデン美術大学(ドレスデンびじゅつだいがく、独: Hochschule für Bildende Künste Dresden; HfBK Dresden、英: Dresden University of Fine Arts)は、ドイツに所在する公立の美術大学。ザクセン州ドレスデンに本部を置く。
元となる美術学校は1764年に設立され、ドレスデンで最も古い歴史を持つ大学である[1]。1764年にザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグスト3世の命令で、“Allgemeine Kunst-Academie der Malerey, Bildhauer-Kunst, Kupferstecher- und Baukunst”(「絵画、彫刻、銅版画、建築、総合芸術アカデミー」)という名前で美術学校が設立された。1768年から1786年の間はフュルステンベルク宮殿(Palais Fürstenberg)に学校は置かれ、フランス生まれでイタリアで学んだ彫刻家、画家のシャルル・フランソワ・ユタンが初代の校長を務めた。1776年にユタンが亡くなると、イタリア生まれの画家、ジョヴァンニ・バティスタ・カサノヴァとドレスデン生まれのヨハン・エレアザル・ツァイシッヒが校長を継いだ。1806年12月にザクセン公国がザクセン王国になったことで「王立美術アカデミー」(Königlichen Akademie der bildenden Künste)に改名された。
この学校とは別に1875年に設立された「王立ザクセン工芸学校」(Königlich Sächsische Kunstgewerbeschule)は、ドイツ帝国が崩壊した後、1920年に「州立工芸高等学校」(Staatliche Hochschule für Werkkunst)と改名され、第二次世界大戦後の1950年に「州立美術アカデミー」(Staatlichen Akademie der bildenden Künste)と改名されていた美術学校と、統合され「ドレスデン高等美術学校」(Hochschule für Bildende Künste Dresden)となった。
ドレスデン美術大学は三つの校舎で構成され、メインの校舎はブリュールのテラスに1894年に建てられたものであり、ドレスデン聖母教会の隣に位置する。ドレスデン工科大学とドレスデン音楽大学の2大学とも提携しており、メディアアートやサウンドアートに関するセミナーも提供している。