ドーリオー・アンソニー・ドワイヤー

ドーリオー・アンソニー・ドワイヤー(Doriot Anthony Dwyer, 1922年3月6日[1] - 2020年3月14日[2])は、アメリカフルート奏者。

イリノイ州ストリータにてドーリオー・アンソニー(Doriot Anthony)として生まれる。8歳の時からフルーティストだった母親の手ほどきでフルートを始め、9歳からシカゴ交響楽団の首席フルート奏者であるアーネスト・リーグルの薫陶を受けた。またカーティス音楽院への入学こそ出来なかったが、ウィリアム・キンケイドの個人教授やジョルジュ・バレルの指導も受けた。1939年からイーストマン音楽学校に進学し、オーケストラのフルート奏者としての訓練を積んだ。1943年からワシントン・ナショナル交響楽団の次席フルート奏者を務め、1946年からロサンジェルス・フィルハーモニックの次席フルート奏者に転出した。1952年から1990年までボストン交響楽団の首席フルート奏者を務めた。

フルート教師としては、1946年から1952年までポモナ・カレッジ、1953年からニューイングランド音楽院で教鞭を執った。1973年からボストン大学、1990年からボストン音楽院で後進の指導に当たった。

ローレンスにて死去[3]

脚注

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  1. ^ アーカイブ 2020年3月16日 - ウェイバックマシン
  2. ^ アーカイブ 2020年3月19日 - ウェイバックマシン
  3. ^ Tommasini, Anthony (2015年1月6日). “Doriot Anthony Dwyer, Flutist and Orchestral Pathbreaker, Dies at 98”. New York Times. オリジナルの2019年3月20日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/BZBXI 2020年3月20日閲覧。