ナダ・サーフ Nada Surf | |
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フロントマンのマシュー・カーズ(2008年) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック、パワー・ポップ |
活動期間 | 1992年 - |
レーベル | エレクトラ、バースーク、シティ・スラング、MarDev |
公式サイト |
nadasurf |
メンバー |
マシュー・カーズ アイラ・エリオット ダニエル・ロルカ ダグ・ギラード |
旧メンバー | アーロン・コンテ |
ナダ・サーフ(Nada Surf)は、アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンドである。1992年、ニューヨークで結成。
マシュー・カーズ(Matthew Caws、ギター、ボーカル)、アイラ・エリオット(Ira Elliot、ドラム、バック・ボーカル)、ダグ・ギラード(Doug Gillard、リードギター)、ダニエル・ロルカ(Daniel Lorca、ベース、バック・ボーカル)によって構成される。1996年のアルバム『High/Low』に収録されている「Popular」で最もよく知られている。
ナダ・サーフは、1990年代初めにマシュー・カーズ、ダニエル・ロルカによって結成された。彼らはリセ・フランセ・ド・ニューヨーク (The Lycée Français de New York、アメリカ合衆国のフランス語学校)で出会い、共に幼少期をフランス、ベルギーで過ごした。彼らは、The Cost of Living、Because Because Becauseなどといった数多くのバンドで活動していた。彼らの最初のドラマーであったダン(後に、彼らの曲「The Plan」の中で触れられている)に代わってアーロン・コンテが加入。彼らの最初のシングル「The Plan / Telescope」や、アルバム『High/Low』の元となったデモテープ『Tafkans』をレコーディングする。テープの収録曲は後に、彼らのシングル「Deeper Well / Pressure Free」、EP『Karmic』、コンピレーション・アルバム『North 6th Street』で発表された。
1995年9月、アーロンがバンドを脱退し、1980年代にニューヨーク・シーンで活発に活動しており、マシューとダニエルの2人がお気に入りであったバンド、ファズトーンズ (Fuzztones)のドラマーだったアイラ・エリオットが加入する。
ブロンド・レッドヘッドのニッティング・ファクトリーでのライブの後、彼らはカーズのかつてのフロントマンであり、ウィーザーの音楽プロデューサーであったリック・オケイセックと出会う[1]。わずかな希望に賭け、彼らはデモテープ『Tafkans』のコピーをオケイセックに渡す。その3週間後、オケイセックはアルバムをプロデュースする意向を伝えた[2]。その後すぐに、バンドはエレクトラ・レコードとの契約を決めた。
アルバム『High/Low』は、1996年1月の19日間でレコーディングおよびマスタリングがなされた。レコーディング費用は、バンドが契約書にサインする前 (1996年1月18日)に、エレクトラ・レコードによって支払われた。
2012年には『THE STARS ARE INDIFFERENT TO ASTRONOMY』をリリースし、ガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ギラードが加入した。