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艦歴 | |
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発注 | 1964年5月15日[1] |
起工 | 1966年3月14日[1] |
進水 | 1967年10月7日[1] |
就役 | 1970年2月14日[1] |
退役 | 2009年9月30日[2] |
その後 | |
除籍 | |
母港 | バージニア州ノーフォーク[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 満載排水量:17,479 t 軽荷排水量:9,784 t 積載重量: 7,695 t[1] |
全長 | 173.7 m (570 ft) 水線長:167 m (548 ft)[1] |
全幅 | 30.4 m (100 ft) 水線長:25.6 m (84 ft)[1] |
吃水 | 7 m (23 ft) 最大 7 m (23 ft) 限界[1] |
機関 | 蒸気タービン2基、2軸推進、24,000 shp[1] |
最大速 | 21 ノット[1] |
乗員 | 士官:59名, 兵員:430名[1] |
兵装 | ファランクス20mmCIWS 2基 25mm Mk 38機銃 2基 12.7mm機銃 8基[3] |
搭載機 | CH-46 シーナイト・ヘリコプター 6機[3] |
モットー |
ナッシュビル (USS Nashville, LPD-13) は、アメリカ海軍のドック型揚陸艦。クリーブランド級ドック型輸送揚陸艦の7番艦。テネシー州ナッシュビルに因んで命名され、その名を持つ艦としては3隻目である。
ナッシュビルは1966年3月14日にワシントン州シアトルのロッキード・シップビルディング社で起工する。1967年10月7日にロイ・L・ジョンソン夫人によって命名、進水し、1970年2月14日にフランク・R・ファーランド艦長の指揮下ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍工廠で就役した。
ナッシュビルは様々な任務を行ったが、その中にはカリブ海強襲揚陸グループ、地中海強襲揚陸グループ、ペルシャ湾強襲揚陸グループ、水雷対抗任務グループ、NATOの北大西洋演習、大西洋艦隊の訓練演習が含まれる。[2]
2006年1月16日、17日にナッシュビルはMQ-8 ファイアスカウト無人ヘリコプターの着艦が行われた最初の艦となった。[4]
2006年7月、イスラエル国防軍によるヒズボラへの攻撃が激化し、ナッシュビルはイオー・ジマ特別遠征攻撃グループの一部としてレバノンに派遣され、第24海兵隊遠征部隊を輸送、紛争地区からアメリカ国民を救助した[5]。2006年7月20日に海兵隊はレバノンに上陸し、それは1982年以来のことであった[6]。ナッシュビルはテレビ番組「アンソニー世界を喰らう」の、ベイルートからアメリカ人を救出するエピソードで特集された。救助されたアメリカ人の中にはアンソニー・ボーディン自身が含まれた。このエピソードはエミー賞のノミネートを受けた。
ナッシュビルは2009年9月30日にバージニア州ノーフォークのノーフォーク海軍基地で退役した。海軍高官は艦の維持には費用がかかりすぎ、新たな艦を運用するより効率的でないと述べた[2]。
インドからの情報源によると、インド海軍はナッシュビルの取得を希望した[7]。しかしながら2007年8月現在でインドは取引を進めることを決定しなかった[8]。結局インド海軍はナッシュビルではなくトレントン (USS Trenton, LPD-14) を取得し、現在はジャラシュワ (INS Jalashwa, L41) として運用されている[9]。