Nancy Lopez | |
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基本情報 | |
名前 | ナンシー・ロペス |
生年月日 | 1957年1月6日(67歳) |
身長 | 165 cm (5 ft 5 in) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州トーランス |
経歴 | |
プロ転向 | 1977年 |
成績 | |
賞金王 | 1978年 |
賞金ランク最高位 | LPGAツアー・1位(1978年、1979年、1985年) |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 1987年 |
ナンシー・ロペス(Nancy Lopez、1957年1月6日 - )はアメリカ合衆国の女子プロゴルファー。1977年からLPGAツアーに参戦して以来、3つのメジャー大会を含む48勝をあげている。
ロペスはカリフォルニア州トーランスで生まれた。12歳でニューメキシコ女子アマに優勝し、1972年と1974年の全米女子ジュニアアマチュアゴルフ選手権にそれぞれ15歳と17際で優勝している。1975年に18歳で全米女子オープンにアマチュアとして出場し、2位タイという結果を残した。1976年にはタルサ大学での活躍により全米女性年間最優秀スポーツ選手の称号を与えられた。大学女子競技スポーツ連盟 (AIAW) の全国大会に勝ち、カーティスカップ、エスピリトサントトロフィーのアメリカチームのメンバーとなった。大学を2年で去って1977年にプロ入り、この年に全米女子オープンで再度2位にくい込んだ[1]。
LPGAツアーに初めてフルシーズン出場した1978年、ロペスは5連続勝利を含む年間9勝をあげた。彼女はスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾り、年間最少平均スコアを記録したプレーヤーに与えられるベアトロフィー (Vare Trophy)、LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤー、LPGAプレーヤー・オブ・ザ・イヤー、更にAP通信アスリート・オブ・ザ・イヤー (Associated Press Female Athlete of the Year) を獲得した。1979年にも年間8勝に輝いた。1980年から1984年まで(特に1983年と1984年は最初の子供の出産のため、シーズンの半分しか出場しなかったにもかかわらず)毎年複数のトーナメントに勝利した[1]。
再びフル出場した1985年のシーズンは年間5勝をあげ、2位に5回、3位にも5回食い込み、賞金女王、年間最少平均スコア(ベアトロフィー)、LPGAプレーヤー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得し、2度目のAP通信アスリート・オブ・ザ・イヤーにも輝いている。1986年は次女の出産のため4トーナメントにしか出場しなかったが、翌年復帰すると1987年から89年にかけて毎年複数回優勝した。1988年と1989年は3勝ずつあげ、1988年には再びプレーヤー・オブ・ザ・イヤーの栄冠を勝ち取った。三女を出産した1990年代の初めには再度出場試合は減少した。1992年は2勝した。その後2002年までは、年間に11ないし18程度のトーナメントに出場を続けていたが、2003年には年間数試合まで減少した[1]。
ロペスは女性ゴルフ史上の偉大なプレーヤーの1人であり、70年代後半から80年代にかけての最高の選手と見なされているが、メジャータイトルの獲得数はさほど多くなく、特に、全米女子オープンでは1度も勝つ事ができなかった。全米女子オープンでは4度にわたり2位になっており、特に最後の1997年には、4日間全てのラウンドを60台のスコアでまわった初のゴルファーになったにもかかわらず、アリソン・ニコラスの後塵を拝した。彼女が手にしたメジャータイトルは全て全米女子プロゴルフ選手権で、1978年、1985年、1989年の3回優勝している[1]。
ロペスは1987年に世界ゴルフ殿堂入りを果たした[2]。1990年にソルハイムカップアメリカツアーチームのメンバーとなり、2005年にはチームのキャプテンを務めた。2002年に定期的なトーナメント出場から引退し、その後2007年と2008年に復帰を試みている。復帰したシーズンは6つのトーナメントに出場し、全て予選落ちした。全12ラウンドのうち、80を切る事ができたのは3ラウンドのみであった[1]。2008年には3大会に出場した。ベストスコアは76で、いずれも決勝ラウンド進出は果たせなかった。
2009年8月現在、ロペスはLPGAルーキー・オブ・ザ・イヤー、LPGAプレーヤー・オブ・ザ・イヤー、ベアトロフィーを同一年(1978年)に獲得した、ただ1人の女性である。彼女の会社、ナンシー・ロペス・ゴルフは女性向けゴルフクラブのフルセットとアクセサリーを製造している。また彼女は時折テレビ解説者を務めている。ロペスは1979年にスポーツキャスターのティム・メルトンと結婚するも1982年に離婚、その年の10月にメジャーリーガーで後にワールドシリーズでMVPを受賞したレイ・ナイトと再婚、3人の子供を儲けたが2009年に離婚した。
通算48勝。太字はメジャートーナメント大会。
トーナメント | 1974 | 1975 | 1976 | 1977 | 1978 | 1979 | 1980 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 † | ... | ... | ... | ... | ... | ... | ... |
全米女子プロゴルフ選手権 | DNP | DNP | DNP | DNP | 1 | T10 | T19 |
全米女子オープン | T18 | T2LA | CUT | 2 | T9 | T11 | T7 |
デュモーリエ・クラシック | ... | ... | ... | ... | ... | 2 | T6 |
トーナメント | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 | ... | ... | T6 | T16 | T11 | DNP | T33 | T5 | T18 | CUT |
全米女子プロゴルフ選手権 | T5 | T35 | T21 | T14 | 1 | DNP | T28 | T24 | 1 | T14 |
全米女子オープン | WD | T7 | DNP | T35 | T4 | DNP | T21 | T12 | 2 | T14 |
デュモーリエ・クラシック | T2 | T9 | WD | T8 | DNP | DNP | T21 | T45 | 9 | DNP |
トーナメント | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 |
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ナビスコ・ダイナ・ショア大会 | T30 | CUT | T8 | T9 | T3 | T15 | T23 | T13 | T21 | T43 |
全米女子プロゴルフ選手権 | DNP | T18 | T25 | WD | T18 | T18 | T37 | T44 | WD | T65 |
全米女子オープン | DNP | T16 | T7 | T35 | T28 | CUT | 2 | CUT | CUT | T46 |
デュモーリエ・クラシック | DNP | DNP | DNP | T22 | DNP | T2 | DNP | T27 | DNP | DNP |
トーナメント | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 |
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クラフト・ナビスコ選手権 † | T63 | CUT | CUT | WD | CUT | DNP | DNP |
全米女子プロゴルフ選手権 | CUT | CUT | CUT | CUT | DNP | DNP | DNP |
全米女子オープン | CUT | CUT | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP |
全英女子オープン ^ | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP | DNP |
† 現在クラフト・ナビスコ選手権として知られているこのトーナメントは1999年までナビスコ・ダイナ・ショア大会であった。2000年にナビスコ選手権になり、2002年に現在の名称となった。
^全英女子オープンは 2001年からデュモーリエ・クラシックの代わりにLPGAメジャー大会に昇格した。
LA = ローアマチュア(最優秀アマチュア選手)
DNP = 出場せず
CUT = 予選落ち
WD = 棄権
DQ = 出場資格無し
... = メジャー大会ではなかった
"T" = 複数の選手と順位を分け合った(タイ)
グリーン地は優勝、黄色地はトップ10入りを表している。