ニク・チャウシェスク

ニク・チャウシェスク
Nicu Ceaușescu
ニク・チャウシェスク(1990年撮影)
生年月日 1951年9月1日
出生地 ルーマニアの旗 ブカレスト
没年月日 (1996-09-26) 1996年9月26日(45歳没)
死没地  オーストリア ウィーン
出身校 ブカレスト大学
シュテファン・ゲオルギウ・アカデミー
所属政党 ルーマニア共産党
称号
配偶者 ポリアナ・クリステスク
親族 ニコラエ・チャウシェスク(父)
エレナ・チャウシェスク(母)

在任期間 1987年10月17日 - 1989年12月22日
党書記長 ニコラエ・チャウシェスク

ルーマニアの旗 ルーマニア社会主義共和国
第5代 青少年担当大臣
在任期間 1983年12月12日 - 1987年10月17日
閣僚評議会議長 コンスタンティン・ダスカレスク

在任期間 1983年12月12日 - 1987年10月17日
党書記長 ニコラエ・チャウシェスク

選挙区 ブザウ県
在任期間 1981年 - 1989年
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軍歴
所属組織 ルーマニア社会主義共和国空軍
軍歴 1975年 - 1976年
最終階級 中尉
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ニク・チャウシェスクルーマニア語: Nicu Ceaușescu, ルーマニア語発音: [ˈniku tʃe̯a.uˈʃesku]; 1951年9月1日1996年9月26日)は、ルーマニア社会主義共和国物理学者政治家。同国の指導者であったニコラエ・チャウシェスクと妻のエレナの末子で、父のニコラエの政治的側近であり、大統領職の後継者候補とみなされていたが、1989年12月に発生したルーマニア革命で失脚した。

共産主義下

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イオン・ミハイ・パチェパによれば、ニコラエ・チャウシェスクはニクを外務大臣に就けたいと考え、そのためにルーマニア共産党の高官の(チャウシェスクが優れた共産主義的知識人と考えた)シュテファン・アンドレイ英語版コーネル・パコステルーマニア語版の2人に、ニクの教育の面倒を見るように指示を出した。しかしパチェパは加えて、ニクは兄たちと違って学校が嫌いで、本を読んでいるところを見たことがないと彼らから揶揄されていたようだと述べている[1]

ニクは第24高等学校(現在のジャン・モネ高等学校ルーマニア語版)を卒業し、ブカレスト大学物理学を学んだ。学生時代に共産青年同盟英語版に参加し、同団体の第一書記と青年担当大臣を経て、1982年にルーマニア共産党中央委員に選出された[2]

ニクは政治家見習いとして、シュテファン・アンドレイ、イオン・トライアン・ステファネスクルーマニア語版、コーネル・パコステの指導を受けた。1980年代末には、ルーマニア共産党執行委員に任命され、1987年にはシビウ地方党委員会第一書記となり、父のニコラエの後継者となるべく、両親によってお膳立てされた[2]

共産主義後

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高校生時代から、ニクは大酒飲みであるといわれていた。1978年にアメリカ合衆国へ亡命したイオン・ミハイ・パチェパは、彼が強姦や自動車事故を起こしてブカレストを騒がせたと主張した[要出典]。パチェパは、ニコラエはニクの飲酒問題を耳にしたものの、その解決法は、ルーマニアではどんな問題にも与えられる「努力せよ」であったとしている[1]。ニクはまた、世界中で賭博して大金を失ったともいわれる[2][3]ラティフ・ヤヒアは、ニクはイラク大統領サッダーム・フセインの息子であったウダイの親友で、2人はスイスモナコを互いに訪問していたと述べている[4]

ドキュメンタリー番組"Videograms of a Revolution英語版"は、1989年12月22日に子供を誘拐したなどの容疑で逮捕され、囚人として国営テレビに映ったニクを紹介している[要出典]。1990年にも、父の政権下で政府資金を不正に使用したことで逮捕され、懲役20年の判決を下された[要出典]。1992年11月に肝硬変のため釈放されたが、ニクはその4年後、45歳でウィーンの病院にて死去した[3]

脚注

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  1. ^ a b Ion Mihai Pacepa (1990) Red Horizons: The True Story of Nicolae and Elena Ceaușescus' Crimes, Lifestyle, and Corruption, Regnery Publishing, Inc. pp. 62–63. ISBN 0-89526-746-2.
  2. ^ a b c Vladimir Tismăneanu英語版 (2005) Stalinism pentru eternitate, Polirom, Iaşi. p. 295. ISBN 973-681-899-3.
  3. ^ a b "Nicu Ceaușescu, 45, Flamboyant Son of Romanian Dictator", in The New York Times 27 September 1996; p. B8
  4. ^ Latif Yahia; Karl Wendl (1997). I Was Saddam's Son. Little, Brown and Company. pp. 297. ISBN 978-155-970-373-4. https://archive.org/details/iwassaddamsson0000yayl/page/297 

関連項目

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  • ナディア・コマネチ - ニクから愛人になるよう迫られたとされる(ただしコマネチ本人は否定している)。