2014年2月26日、オーストリア ・リンツ での講演にて
ニケ・ワーグナー (ドイツ語:Nike Wagner、1945年 6月9日 - )は、ドイツ の文筆家、劇作家。2004年から2013年まで、ヴァイマル 文化祭典の芸術総監督[ 1] [ 2] 。ボーデン湖 の湖畔のユーバーリンゲン生まれ。
ヴィーラント・ワーグナー と、ダンサー で振付師の妻ゲルトルート・ワーグナー(旧姓ライシガー、1916年 - 1988年)の3番目の子。1946年から、バイロイト のリヒャルト・ワーグナー の住居ヴァーンフリート荘で育てられた。ジークフリート・ワーグナー の孫、リヒャルト・ワーグナーの曽孫、フランツ・リスト の玄孫に当たる。
ミュンヘン 、ベルリン 、米国 で音楽・演劇・文学を学び、米国では「電子音楽作曲家」としても活動した[ 3] 。1967/68年、北ドイツ放送テレビ局の編集助手を務めた。1971年から1974年までイリノイ州 のノースウェスタン大学 でティーチング・アシスタントを務め、1973年、カール・クラウス の研究で博士号を取得。指導教員はオーストリア からの亡命学者、エーリッヒ・ヘラー(1911-1990)。
1975年からフリーランスの文筆家。ドイツ国内外で開かれる音楽・文学のシンポジウムや対談イベントに数多く参加している。1984年から1986年まで、ベルリン学術コレークのフェロー。2001年、ハンブルク 市から文化評議員(Kultursenator)の職を提示されるが、ハンザ 都市の文化予算の増額要求が断られると、これを辞退した。2002年、オックスフォード大学 の客員教授。2003年、ドイツ連邦議会が主催する「ドイツの文化」アンケート委員会に外部識者として参画。2002/03年、バイエルン州立歌劇場 のヘルベルト・ヴェルニケとデイヴィッド・オルデンによる「リング [要曖昧さ回避 ] 」上演に文芸部員(ドラマトゥルグ)として関わった。2004年、ワイマール文化祭典の芸術総監督に就任。
バイロイト音楽祭 の長期政権を続けた叔父、ヴォルフガング・ワーグナー に対して痛烈な批判を繰り返し表明し、長年に渡り後任の座を要求してきた。1999年、エルマール・ワインガルテンと組んで音楽祭総支配人に応募したのを皮切りに、ペーター・ルジツカとの応募が続き、2008年には、最初はエファ・ワーグナー・パスキエ と組んで試み、応募締切の間際にはジェラール・モルティエ とのコンビに変えて応募した[ 4] 。バイロイト財団 評議会が2008年9月1日、22票の多数決(2票の保留票)でエファ・ワーグナー・パスキエとカタリーナ・ワーグナー のコンビに決定すると[ 5] 、用意された声明を発表し、「不審に満ちた選考過程」とのコメントを出した[ 6] 。この批判は評議会議長より却下された[ 7] 。
2013年5月、ボン 市より、ベートーヴェン祭典の総監督の職を提示された[ 8] 。5月22日/23日、市の文化委員会と市議会が議決すると、2014年1月1日、ニケ・ワーグナーは、チューリッヒ のトーンハレに転属となったイローナ・シュミールの後任としてこれを受諾した[ 9] 。2019年になると、ニケは2020年で満了となる契約を更新しないことを明らかにした[ 10] 。
1986年からウィーン に在住。俳優で台本作家の夫ジャン・ローネイとの間に、ダンサー・振付師・舞台美術家の娘ルイーゼ・ワーグナー(1981年 - )がいる。再婚相手は音楽学者のユルク・シュテンツル(1942年 - )。
1999: ドイツ言語・詩歌アカデミー(Deutsche Akademie für Sprache und Dichtung)の会員
ザクセン芸術アカデミー、文学クラス(Literaturklasse der Sächsischen Akademie der Künste)の会員
2012: ハイデルベルク教育大学の名誉教授[ 11]
2013: テューリンゲン州功労勲章(Verdienstorden des Freistaats Thüringen)
2019: ボン・ブレッケメン賞(Bröckemännche-Preis)[ 12]
1976:『ヴォルフ・ジークフリート・ワーグナー、ゲルトルート・ワーグナー、ニケ・ワーグナー 図像入り私たちの家族の歴史、バイロイト1876-1976』
[Wolf Siegfried Wagner, Gertrud Wagner, Nike Wagner: Die Geschichte unserer Familie in Bildern, Bayreuth 1876–1976. Rogner & Bernhard, München 1976.]
1982:『精神と性 カール・クラウスとウィーン近代のエロティーク』(博士論文の出版)
[Geist und Geschlecht. Karl Kraus und die Erotik der Wiener Moderne. Suhrkamp, Frankfurt am Main 1982 (Dissertation).]
ニーケ・ワーグナー『世紀末ウィーンの精神と性』、菊盛英夫 訳、筑摩書房 、1988年
1991:『ねえ、そんなにヒステリックにならないで』(寄稿集)
[Mann, sei nicht so hysterisch. Matthes und Seitz, München 1991 (Aufsatzsammlung).]
1995:編著『ワーグナーについて 音楽家・詩人・愛好家として アンソロジー』
[Nike Wagner (Hrsg.): Über Wagner. Von Musikern, Dichtern und Liebhabern. Eine Anthologie. Reclam, Stuttgart 1995, ISBN 3-15-009423-2 .]
[Wagner Theater. Insel, Frankfurt am Main 1998, ISBN 3-458-16898-2 .] Neuausgabe: Suhrkamp, Frankfurt am Main 1999, ISBN 3-518-39579-3 .
[Traumtheater: Szenarien der Moderne. Insel, Frankfurt am Main 2001, ISBN 3-458-17069-3 .]
2007:「読む! 」。対話、30分、ZDF制作、初回放送:2007年6月26日、内容 [Lesen! Gespräch, 30 Min., Produktion: ZDF, Erstsendung: 26. Juni 2007, Inhaltsangabe (Memento vom 3. August 2007 im Internet Archive)]
^ Kunstfest Weimar – Offizielle Website
^ Johannes Saltzwedel: Nike Wagner: „Ich wurde kräftig angefeindet“. In: Der Spiegel. Nr. 31, 2004, S. 138 (online ).
^ Carr, Der Wagner-Clan. Hoffmann und Campe, Hamburg 2009, S. 414.
^ Nike Wagner und Mortier erläutern ihr Konzept . In: FAZ, 27. August 2008
^ Festspiel-Personalie: Halbschwestern-Duo übernimmt Leitung in Bayreuth , Spiegel.de, 1. September 2008
^ "Unter uns Betschwestern" , Der Tagesspiegel, 1. September 2008
^ "Wir brauchen noch Geld" . (Memento vom 4. September 2008 im Internet Archive) In: Nordbayerischer Kurier, 2. September 2008
^ Stadt Bonn Medienportal vom 8. Mai 2013: Nike Wagner soll Intendantin der Beethovenfeste Bonn werden , abgerufen am 9. Mai 2013
^
Stadtrat Bonn stimmt der Berufung von Dr. Nike Wagner zu . Stadt Bonn, 24. Mai 2013; abgerufen am 24. Mai 2013
^ Jan Brachmann: Abschied vom Beethovenfest . In: www.faz.net. 5. Juli 2019, abgerufen am 6. Juli 2019.
^ PH Heidelberg bestellt Dr. Nike Wagner als Honorarprofessorin (PDF)
^ Bonner Bröckemännche für Beethovenfest-Intendantin . Staatskanzlei des Landes Nordrhein-Westfalen, 25. Januar 2019, abgerufen am 26. Januar 2019.