引退 | |
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愛称 | ホップス |
英語 | Nick Fazekas |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1985年6月17日(39歳) |
出身地 | アメリカ合衆国・コロラド州アーバダ |
身長(現役時) | 207cm (6 ft 10 in) |
体重(現役時) | 114kg (251 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | ラルストンバレー高等学校 |
大学 | ネバダ大学リノ校 |
NBAドラフト | 2007年 / 2巡目 / 全体34位[1] |
ダラス・マーベリックスから指名 | |
プロ選手期間 | 2007–2024 |
ポジション | C |
永久欠番 | 22 |
経歴 | |
2007-2008 | ダラス・マーベリックス |
2007-2008 | →タルサ・66ers |
2008 | ロサンゼルス・クリッパーズ |
2008-2009 | ベースオーステンデ(ベルギー) |
2009 | ASVEL(フランス) |
2009-2010 | JDAディジョン(フランス) |
2010-2011 | リノ・ビッグホーンズ(NBADL) |
2012 | ペトローン・ブレーズ・ブースターズ(フィリピン) |
2012 | サン・ミゲル・ビアーメン(ABL) |
2012-2024 | 川崎ブレイブサンダース |
選手情報 B.LEAGUE.jp | |
Stats Basketball-Reference.com | |
ニコラス・ライアン・ファジーカス(Nicolas Ryan Fazekas, 1985年6月17日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州アーバダ出身の元プロバスケットボール選手(センター)。日本国籍に帰化しており、日本代表としてFIBAワールドカップ2023のバスケ日本代表予備登録メンバーにも選ばれた。
ネバダ大学リノ校に入学、同校を4年連続でNCAAトーナメントに導いた。1年次には同トーナメントでベスト16に進出している[1]。2006年11月18日の試合で、それまでエドガー・ジョーンズが1979年までに記録した1,877得点を更新する大学新記録を作った。また2005-2006シーズンには、ジョーンズが持っていたシーズン大学得点記録も更新している。ウェスタン・アスレティック・カンファレンスのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに2005年から2007年まで3年連続で選ばれた[1]。
2007年のNBAドラフト2巡でダラス・マーベリックスに指名された[1]。サマーリーグで平均17分の出場で、6.6得点、4.4リバウンドをあげた彼は、7月26日にマーベリックスと1年契約を結んだ(契約内容はチーム方針により公開されていない。)。
2008年2月19日、マーベリックスがジェイソン・キッドを獲得するためのトレード要員の1人として、キース・ヴァン・ホーンと契約した際、解雇された[2]。2月27日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約を結んだが、シーズン終了後、契約延長がされず、同年8月1日に無制限フリーエージェントになった[3]。その後、デンバー・ナゲッツのトレーニングキャンプに参加したが、シーズン開幕前の10月23日に解雇された。
2008年10月28日、ベルギーのベースオーステンデと契約を結んだ[4]。
2009年1月、リーグ・ナショナル・バスケットボール(フランスリーグ)のASVELリヨンビラーバンと契約した。この年夏には、アメリカのボストン・セルティックスのサマーリーグに出場。
2009-2010年シーズンは、フランスのJDAディジョンでプレーした。
2010年のNBAデベロップメント・リーグドラフト全体1位でリノ・ビッグホーンズに指名された[5]。同年12月30日、足首を負傷したことから解雇されたが[6]、2011年に再びチームに加わった[7]。2011年12月に怪我のため、チームからウェーバーされた。
その後、フィリピン、アセアンリーグを経て、2012年に来日し、東芝ブレイブサンダースに入団。リーグベスト5と得点王を受賞した。
2013年のNBLオールスターに選出されている[8]。
2016年9月22日にB.LEAGUEが発足。所属する東芝もプロクラブとなり、現在の「川崎ブレイブサンダース」となる。Bリーグ初年度のシーズンではB1得点王、B1シーズンMVPに輝くも、チームは惜しくファイナルで惜しくも栃木ブレックスに惜敗し、準優勝となる。
2018年4月26日に日本国籍を取得した[9][10][11]。官報告示では『ニコラス・ライアン・ファジーカス』と表記されている[10]。
2023年9月16日、宇都宮ブレックスとのプレシーズンマッチの後、2023-24シーズン限りで現役を引退することを発表した[12][13][14]。引退の理由についてファジーカスは「10カ月を戦う長いシーズン、体力的にもメンタル的にも厳しくなってきている。一番高いパフォーマンスを維持できるのは今年が最後なのかなと思ったことが、引退する決め手になりました」と語った[15]。
2018年6月、フリオ・ラマスヘッドコーチ指揮下の日本代表候補に選出。FIBAランキング上位のオーストラリア戦に勝利するなど、W杯予選突破に貢献した。
2019年9月、ワールドカップ中国大会では日本代表として母国アメリカ戦を含む全5試合に出場した。
2022年8月、トム・ホーバスヘッドコーチ体制の日本代表に選出され、ワールドカップ2023アジア地区2次予選ウィンドウ4・カザフスタン戦で3年ぶりに日本代表の試合に出場。
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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2007–08 | DAL | 4 | 0 | 2.3 | .400 | .000 | .000 | .8 | .0 | .0 | .0 | 1.0 |
2007–08 | LAC | 22 | 0 | 11.8 | .571 | .000 | .682 | 3.9 | .6 | .4 | .5 | 4.7 |
Career | 26 | 0 | 10.3 | .561 | .000 | .682 | 3.4 | .4 | .3 | .4 | 4.1 |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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2016-17 | 川崎 | 60 | 60 | 30.3 | .546 | .428 | .815 | 12.7 | 2.4 | .8 | .8 | 2.3 | 27.1 |
2017-18 | 60 | 59 | 29.9 | .553 | .446 | .846 | 10.9 | 2.8 | 1.2 | .4 | 2.3 | 25.3 | |
2018-19 | 57 | 48 | 31.3 | .516 | .388 | .862 | 10.9 | 3.2 | 1.1 | .4 | 2.0 | 22.3 |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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2017 | 川崎 | 6 | 6 | 28.8 | .442 | .167 | .848 | 10.0 | 1.3 | .8 | 1.0 | 1.7 | 19.5 |
2018 | 3 | 3 | 23.1 | .645 | .250 | .909 | 9.0 | 2.0 | .7 | .3 | 1.3 | 20.3 | |
2019 | 2 | 2 | 32.6 | .455 | .000 | .600 | 13.0 | 1.0 | 1.0 | .0 | 1.5 | 16.5 |
祖父のアルバート・ファジーカスは、ハンガリー動乱の時に自由を要求した活動家で、投獄されたが、その後アメリカに妻と子供を連れて逃れてきた。ニックの父親はアメリカで生まれており、ワイオミング大学、アイダホ州立大学(英語版)でバスケットボールをプレーした後、アルゼンチンリーグでプレーした。[要出典]
2011年のインタビューで将来ハンガリーの市民権を獲得し、バスケットボールハンガリー代表としてプレーしたいと語った[16]。
その後、日本国籍を取得し、日本候補代表に選出される[17][リンク切れ]。
好きな食べ物はピザ。苦手な食べ物は生魚と納豆[18]。