ニッパー(Nipper)は、絵画『His Master's Voice』のモデルとなった犬。蓄音機に耳を傾けるニッパーを描いたその絵画は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)やHMV、RCA(現・仏国ヴァンティヴァ)、RCAレコード(現・米国ソニー・ミュージックエンタテインメント)などの企業のトレードマーク、またはブランドとして知られる。
ニッパーの最初の飼い主は、イギリスの風景画家マーク・ヘンリー・バロウドであった。
1884年、イギリスのブリストルに生まれる。いつも客の脚を噛もうとすることから、“Nipper”(nip=噛む、はさむ:同名の工具の語源)と名づけられる。
ニッパーは、フォックス・テリア系の犬(BBCによればジャック・ラッセル・テリア[1])であったが、ブル・テリアの血も少し入っていた。絵画『His Master's Voice』での様子に反し、やんちゃな犬で、ニッパー自身からは喧嘩を吹っかけたりしないものの、襲ってきた犬には立ち向かい、そしていつも勝っていたという[2]。
1887年にマークが病死したため、弟の画家フランシス・バロウドがニッパーを引き取った。彼は亡き飼い主・マークの声が聴こえる蓄音機を不思議そうに覗き込むニッパーの姿を描いた。
その8年後の1895年、ニッパーは息を引き取った。遺体はテムズ川辺の桑の木の下に葬られたといわれるが、1950年にその場所が掘り起こされたものの、ニッパーとみられる骨は見つからなかった[2]。
ニッパーの死から3年後の1898年、フランシスはエジソン・ベル(Edison Bell)社のゼンマイ式フォノグラフ(円筒型蓄音機)を熱心に聴くニッパーの絵を描いた。1899年2月11日、フランシスは自身の絵、“Dog Looking At and Listening to a Phonograph”(フォノグラフを見つめ聴いている犬)の商標を出願した[3]。フランシスは、エジソン・ベル社にこれを提示したが、“Dogs don't listen to phonographs.”(犬はフォノグラフを聴いたりしない)と一蹴されてしまう[4]。
同年5月31日、今度はベルリーナ・グラモフォン社のオフィスを訪問、グラモフォン(円盤型蓄音機)のブラスホーンを借りて、絵に描いた黒いホーンと置き換えようと考えていた。しかし、社長のウィリアム・オーウェンは、「もし蓄音機全体をグラモフォンに置き換えるなら、社としてこの絵を買おう」と提案してきた。こうして修正された絵はベルリーナ・グラモフォン社の商標として、1900年6月10日に登録された[5]。
量販店としての HMV は当初グラモフォンの小売部門のブランドであったため、“His Master's Voice”を略した“HMV”を店名とした。現在の HMV は EMI と資本関係には無いが、HMVブランドは継続して使用されている。
過去には日本ビクターの製品のローン販売の金融商品である『ビクターローン・システム』のプランの一つとして『ニッパーLプラン』があった。また、同社が提供するラジオ番組、S盤アワーでは、「犬のマークでおなじみの日本ビクターがお送りする、ニュースタイルの軽音楽プロ、“S盤アワー”の時間がやってまいりました」というオープニングアナウンスがお約束であった。
なお、このマークは2024年(令和6年)4月現在、日本ではJVCケンウッド[6]、およびビクターエンタテインメント(二代目法人、ただし2014年4月1日 - 2024年3月31日までの法人名はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)、Verbatim Japan(旧・三菱ケミカルメディア)、北米ではソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEI)の社内カンパニーのRCAレコードが、欧州ではヴァンティヴァ(旧・テクニカラー)のRCAブランドがそれぞれ使用している。尤も、RCAでは1991年からニッパーの他にチッパーと呼ばれる仔犬も加わっている。このように地域によって使用する企業が異なる関係で、例としてかつて存在したHMVの日本法人(HMVジャパン)のロゴマークにはニッパーがなく蓄音機だけが描かれていた。 またポーズが異なる図柄として、ビクターエンタテインメントの機能子会社であるフライングドッグは、跳躍するニッパーのシルエットを使っている。
日本ビクターの専属歌手だった古賀さと子と服部淳子が、1952年にニッパーを冠した童謡をいくつか発売している。
また、1950年代に犬の鳴き声のテープを使ったレコードがシンギング・ドッグス名義で発売された際、日本では「歌うニッパー」というタイトルでSP盤が発売された[7]。