『ニューヨーク物語』 | ||||
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ビリー・ジョエル の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | コロムビア・レコード | |||
プロデュース | ビリー・ジョエル | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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ビリー・ジョエル アルバム 年表 | ||||
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『ニューヨーク物語』(ニューヨークものがたり、原題: Turnstiles)は、ビリー・ジョエルが1976年に発表したアルバム。通算4作目。
ビリーは本作の制作に当たって、デビュー当時の活動拠点だったロサンゼルスを離れ、故郷のニューヨークに戻った。そのことが「さよならハリウッド」や「ニューヨークの想い」の歌詞に反映されている。また、「夏、ハイランドフォールズにて」「マイアミ2017」もニューヨークを題材とした曲(後者は、近未来にニューヨークが破壊され、マイアミに移住して、かつてのニューヨークのことを伝えていくという設定の歌詞)。
制作開始当初は、シカゴのプロデューサーとして知られるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオをプロデューサーに起用し、コロラド州の「カリブー・ランチ」スタジオ(ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオが所有するスタジオ)で、エルトン・ジョン・バンドのナイジェル・オルソン(ドラムス)、ディー・マレイ(ベース)らが参加してレコーディングが行われたが、ビリー本人が作品の出来に満足できなかったため、ニューヨークに戻り、ビリーのセルフ・プロデュースで改めてレコーディングが行われたものである。本作に参加したミュージシャンの何人かは、以後ビリーのレギュラー・バンド(ビリー・ジョエル・バンド)のメンバーとして活動を共にすることとなる。
テクニカルなピアノのイントロから始まる「プレリュード/怒れる若者」は、ビリーがライヴで好んで演奏する曲の一つで、1987年の旧ソ連公演や2006年のツアー等でオープニングを飾った。
発売当時は、セールス面で大きな成果を挙げられず、チャート順位は前2作を大きく下回ったが、後のallmusic.comのレビューでは、「1970年代後半における『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』の成功への道を切り開いた、ビリーの最高傑作の一つ」と、評価が見直されている[1]。1981年には、「さよならハリウッド」のライヴ・ヴァージョン(ライヴ・アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』収録)がシングルとして発売され、全米17位に達した。
全曲ビリー・ジョエル作。