ニュー・イングランド | |
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出身地 | アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン |
ジャンル | ロック、ハードロック、ポップ・ロック、シンフォニック・ロック、プログレッシブ・ロック |
活動期間 | 1978年 - 1982年、2005年 - |
レーベル |
インフィニティ・レコード エレクトラ・レコード GB Records |
公式サイト |
www |
メンバー |
ジョン・ファノン ジミー・ウォルドー ゲイリー・シェア ハーシュ・ガードナー |
ニュー・イングランド(New England)は、アメリカ合衆国のロック・バンド。ボストンで結成され、1979年にデビューを果たした。
ジョン・ファノン、ジミー・ウォルドー、ハーシュ・ガードナーの3人は、1973年にはファットバックというバンドで活動を共にしており、その後、3人はゲイリー・シェア(ベース)やケン・メーレ(ボーカル)と共にターゲットというバンドを結成[1]。さらにケン・メーレが脱退してバンドは4人編成となり、ニュー・イングランドと改名して、MCAレコード傘下のインフィニティ・レコードとの契約を得る。
1979年、ポール・スタンレーがプロデューサーとして参加したデビュー・アルバム『失われし魂』を発表[2]。同作はBillboard 200で50位に達し[3]、「失われし魂(Don't Ever Wanna Lose Ya)」(全米40位)、「ハロー・ハロー・ハロー(Hello, Hello, Hello)」(全米69位)といったシングル・ヒットも生んだ[3]。
その後、バンドはエレクトラ・レコードに移籍するが、セカンド・アルバム『果てしなき冒険』(1980年)はチャート・インを果たせなかった。続く『ウォーキング・ワイルド』(1981年)はトッド・ラングレンをプロデューサーに起用して制作されたが、全米176位止まりとなり[3]、ニュー・イングランドは1982年に解散する。
バンド解散後、ジョン・ファノンを除く3人はヴィニー・ヴィンセントと共にウォリアーを結成するが、ヴィンセントがキッスに加入したため、ウォリアーはほどなく解散した[4]。そして、ジミー・ウォルドーとゲイリー・シェアはグラハム・ボネットと共にアルカトラスを結成して、ハーシュ・ガードナーは音楽プロデューサーとしての活動が中心となった。
1990年代にはニュー・イングランドの再評価が進む。1998年、未発表音源集『1978』がリリースされたのに加え、CD化が遅れていたエレクトラ・レコード時代の2作も復刻された。
2002年、ハーシュ・ガードナーは初のソロ・アルバム『ウェイストランド・フォー・ブロークン・ハーツ』を発表。同作収録曲「モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」において、ニュー・イングランドのメンバー4人は20年ぶりに共演した[4]。その後、1980年前後のライブ音源を発掘した『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ』のリリースを経て、ニュー・イングランドはライブ活動を再開する。