「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」 | ||||||||
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リトル・ウィリー・ジョン の シングル | ||||||||
B面 | ホーム・アット・ラスト | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチシングル | |||||||
録音 | ||||||||
ジャンル | ブルース、リズム・アンド・ブルース | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | キング・レコード (4841) | |||||||
作詞・作曲 | William Edward John, Mertis John Jr. | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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リトル・ウィリー・ジョン シングル 年表 | ||||||||
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ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド(Need Your Love So Bad)(あるいはI Need Your Love So Badの題名でも知られる)は、R&Bシンガー、リトル・ウィリー・ジョンが1955年に初めてレコーディングした楽曲。ゴスペル、ブルースおよびリズム・アンド・ブルースが特徴的に融合したと評される[3]。ジョンの2枚目のシングルであり、かつ米国における2枚目のチャート入りしたヒット曲でもある。
ジョンの最も著名な楽曲のひとつとして知られ、数多くのコンピレーション・アルバムに収録されている。1968年には、フリートウッド・マックがカヴァーし、イギリスおよびオランダのシングル・チャート入りを果たしている。
曲の構成はAABA形式で、ハーモニーの使い方は典型的なR&Bバラードのスタイルとなっている[4]。しかしながら、この曲は「一般的なR&Bバラードとは大きく異なる濃縮され強烈な愛への嘆願」と評された[5]。
ジョンは、この曲を1995年9月20日、ニューヨークにて録音した[5]。彼がヴォーカルを取り、ロバート・“ババー”・ジョンソンがピアノ、ミッキー・ベイカーがギター、ミルトン・ヒントンがベース、カルヴィン・シールズがドラムス、ウィリス・ジャクソンとデイヴィッド・ヴァン・ダイクがテナー・サックス、そしてルーベン・フィリップスがバリトン・サックスを担当した[5][6]。
ソングライター・クレジットについては、レコードのリリースによって異なるものが存在する。オリジナルのキング・レコードのリリースにおいては、ソングライターは"Willie John"となっており、フリートウッド・マックのオリジナルのブルー・ホライズン盤およびCBS盤シングルも同様である。しかしながら、コンピレーションによっては、ライターをジョンの兄である"Mertis John"としているものもある[7][8]。
2001年に出版されたリトル・ウィリー・ジョンの伝記には以下の通り記述されている:
マーティス・ジュニアが楽曲の大部分を朝鮮で書きウィリーのもとに持っていった。ウィリーはそれに手を加えて曲を完成させた。ウィリーの個性は明らかにこの楽曲で発揮されており、マーティスは2008年になってから共作者としてウィリーの名前を復活させている[3]。
アメリカ合衆国の演奏権管理団体のひとつ放送音楽協会(BMI)はこの曲のソングライターとしてウィリアム・エドワード・ジョンとマーティス・ジョン・ジュニア(リトル・ウィリーと彼の兄の法的な氏名)の2人をクレジットしている[9]。
キング・レコードがリリースしたジョンのこのシングルは、1956年にビルボードのR&Bチャートの第5位を記録し[10]、B面の"Home At Last”も同チャートの第6位のヒットとなっている[10]。この曲はジョンの最もポピュラーな曲として知られ、「Fever: The Best of Little Willie John」(1993年)[11]、「The Very Best of Little Willie John」(2001年)[12]など様々なコンピレーション・アルバムに収録されている。
「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」 | ||||
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フリートウッド・マック の シングル | ||||
B面 | ストップ・メッシン・アラウンド | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチシングル | |||
録音 | ※ストリングスとホーンのオーヴァーダブは5月15日に行なわれた | |||
ジャンル | ブルース | |||
時間 | ||||
レーベル | ブルー・ホライズン | |||
作曲 | William Edward John, Mertis John Jr. | |||
プロデュース | マイク・ヴァーノン | |||
チャート最高順位 | ||||
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フリートウッド・マック シングル 年表 | ||||
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1968年、フリートウッド・マックがマイク・ヴァーノンのプロデュースの下、ブルー・ホライズン・レコードに「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」を吹き込んだ[14]。ヴァーノンによると、彼はグループのギタリストであり、ヴォーカリストのピーター・グリーンに対し、ストリングスを加えることを提言した[14]。ヴァーノンはジョンのオリジナル・バージョンでギターを担当したミッキー・ベイカーにコンタクトし、この曲のオーケストラ・スコアを書くよう依頼している[14]。
この曲はシングルとしてリリースされ、B面には「Stop Messin' Round」が収録された。1968年8月、UKのシングル・チャートの第31位を記録[13]、そしてオランダではチャートの7位まで上った[15]。後になって英国でブルー・ホライズンがシングルとして再発し、その際はB面に「No Place To Go」が収録された[16]。そしてCBSは「ホール・オヴ・フェイム・ヒッツ」シリーズのひとつとしてこの曲をシングルのB面でリリースした。このリリースのA面は"Albatross"だった[17]。
この曲は、いくつかのフリートウッド・マックのコンピレーション・アルバムに収録されている。その中には『The Pious Bird of Good Omen』(1969年)[18]、『Greatest Hits』(1971年)[19]などがある。1999年には『The Complete Blue Horizon Sessions 1967–1969』がリリースとなり、この曲の別テイクが収録された。テイクのひとつにはグリーンによるギターとヴォーカルのオーヴァーダブがなされており、当初このバージョンが米国のシングルとなる予定だったがリリースされなかった[14]。
1995年には、ギタリスト/シンガーのゲイリー・ムーアがピーター・グリーンへのトリビュート・アルバム『ブルーズ・フォー・グリーニー』(1995年)のためにこの曲をレコーディングした。ムーアのバージョンは1995年6月にシングルとしてリリースされ、UKシングル・チャートの48位を記録している[20]。
この曲はジョンの楽曲の中では「フィーヴァー」と並び、最も多くのカバーがなされた楽曲のひとつである[21]。アーマ・トーマス (1964年)、ソロモン・バーク (1968年)、ジュニア・パーカー (1971年)、オールマン・ブラザーズ・バンド (1979年)、リトル・ミルトン (1980年)、スティング (1982年)といったアーティストがカバーをリリースしている[22]。