ヌビアン (駆逐艦・2代)

HMS ヌビアン 
トライバル級駆逐艦ヌビアン 大戦後半の艦影。
トライバル級駆逐艦ヌビアン
大戦後半の艦影。
基本情報
建造所 ソーニクロフト
運用者  イギリス海軍
級名 トライバル級駆逐艦
艦歴
起工 1936年8月10日
進水 1937年12月21日
就役 1938年12月6日
退役 1945年11月
除籍後 1949年にスクラップとして売却
要目
基準排水量 1,891 トン
満載排水量 2,519 トン
全長 377 ft (115 m)
最大幅 36.6 ft (11.13 m)
吃水 11.3 ft (3.43 m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 44,000 shp (33 MW)
最大速力 36ノット (67 km/h)
航続距離 5,700海里 (10,200 km)
15ノット(28km/h)時
乗員 士官、兵員190名
兵装 45口径12cm連装砲×4基
39口径40mm4連装機銃×1基
62口径12.7mm4連装機銃×2基
53.3cm4連装魚雷発射管×1基
爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×1基
爆雷×20発
ソナー 124型 探信儀 (ASDIC)
その他 ペナント・ナンバー:L36(1938年10月-1938年12月)
F36(1939年1月-1940年5月)
G36(1940年5月-1949年6月)
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ヌビアン (HMS Nubian, L36/F36/G36) は、イギリス海軍駆逐艦トライバル級。艦名はヌビア地方に暮らすヌビア人英語版にちなむ。「ヌビアン」の名を持つ艦としては二代目。

ヌビアンは第二次世界大戦において、軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ジャーヴィスと共に戦艦ウォースパイトの14個[1] に次ぐ13個の戦闘名誉章 (Battle honour) を受章した武勲めでたい艦として知られる。

艦歴

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ヌビアンは1936年8月10日にサウサンプトンソーニクロフト社で起工、1937年12月21日に進水し1938年12月6日に艦長リチャード・W・レーヴェンヒル中佐の指揮の下で就役した。就役後はトライバル級駆逐艦で編成された第1トライバル駆逐艦戦隊(1st Tribal Destroyer Flotilla)に配属され、地中海艦隊で活動した[2][3]

1939年

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1939年9月に第二次世界大戦が始まると、ヌビアンは戦隊の僚艦と共に本国近海で活動する。ヌビアンは護衛任務やドイツ艦船の捜索のほか、阻塞気球の曳航実験にも従事している。12月28日にはU-30の雷撃で損傷した戦艦バーラムの帰投を護衛した。

1940年

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1940年2月にヌビアンは、通商破壊を行う装甲艦グラーフ・シュペーの補給船であるアルトマルク号の捜索に従事。4月にはノルウェーの戦いに派遣された。1940年5月、ヌビアンは駆逐艦ケリーマオリヘイスティインペリアルと共にナムソスからの撤退作戦に参加する。撤退は無事に終了したものの、帰路にドイツ軍機による激しい空襲で駆逐艦アフリディフランス海軍ビゾンが失われた。スカパ・フローに帰還後、ヌビアンのペナント・ナンバーG36に変更されている。

同月、ヌビアンはジャーヴィスジェーナスジュノーモホークと共にフィリップ・ジョン・マック英語版大佐率いる第14駆逐艦戦隊(14th Destroyer Flotilla)の指揮下に入ることになった[4]。5月18日、ヌビアンらは紅海に派遣される第5駆逐艦戦隊(5th Destroyer Flotilla)所属のK級駆逐艦4隻と共にプリマスを発ちアレキサンドリアへ移動した。ヌビアンらはイタリアが参戦する2週間前の5月25日にアレキサンドリアへ到着した。

地中海の戦いで、ヌビアンは敵艦の掃討、陸軍への支援砲撃、輸送船団の護衛、艦隊護衛といった様々な任務に従事することになった。

イタリア参戦後の最初の地中海艦隊の出撃に参加。続いて対潜掃討作戦(MD2作戦)や[5]エーゲ海からエジプトへの船団の護衛(MA3作戦)に参加した[6]

1940年7月にカラブリア沖海戦に参加、8月には地中海艦隊に配備されるために移動する戦艦ヴァリアント、空母イラストリアスらを護衛した(ハッツ作戦)。9月17日、重巡洋艦ケントがヌビアンとモホークを伴ってバルディア砲撃へと赴く途中でイタリア軍のサヴォイア・マルケッティ SM.79の攻撃を受けてケントが被雷し、ヌビアンはケントをアレクサンドリアまで曳航した[7]。11月12日には、ヌビアンを含むX部隊はMB8作戦の一環として商船4隻及び護衛の水雷艇ニコラ・ファブリッツィと仮装巡洋艦ラム3世からなるイタリア船団を攻撃、商船4隻全てを沈める勝利を得た(オトラント海峡海戦[2]

1941年

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1941年1月にヌビアンはマルタ島への大規模な輸送作戦であるMC4作戦(エクセス作戦)に参加、戦艦ウォースパイト、ヴァリアント、空母イラストリアスを含むA部隊(Force A)の護衛を担当した。3月にはマタパン岬沖海戦に参加、航空魚雷の命中で落伍していたイタリア海軍の重巡洋艦ポーラに接近し、ジャーヴィスと共にポーラを雷撃処分した。翌4月には、タリゴ船団の戦いにおいてヌビアンは僚艦と共にイタリアの輸送船団を護衛艦艇もろとも全滅させる功績をあげた。

5月初めにMD.4作戦(タイガー作戦)に護衛として参加後、ヌビアンはクレタ島の戦いに加わったが、この戦いでは多くの艦艇が失われた。5月26日にヌビアンはドイツ空軍機の爆撃を受け大破してしまう。ヌビアンは艦尾部の水線から上を全て失い、戦死者7名・負傷者12名を出した。も破壊されたが、幸いなことに推進器は無事だったため20ノットで航行が可能だった。ヌビアンはジャッカルの援護を受けながら、なんとかアレキサンドリアへ帰投することができた[8]。しかしながら多大な損害を負ったヌビアンは6月12日にインドボンベイへ曳航され、以降18か月間の長期修理を受けることになった。この修理に合わせて、3番砲が4インチ連装高角砲英語版に換装されたり286M型レーダーが搭載されるなどの改良も行われた[2]

1942年

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修理が完了したヌビアンは1942年11月、第14駆逐艦戦隊に復帰した。同月にヌビアンはマルタ島の包囲が解かれて初となる大規模輸送作戦ストーンエイジ作戦に参加、同月28日には敵船団攻撃のためK部隊に加わった。12月2日、ヌビアンはジャーヴィス、ジャベリンケルヴィンと共に、アルバコア雷撃機により撃沈された輸送船の乗員を救助中だったイタリアの水雷艇ルポを捕捉、撃沈している[9]

1943年

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1943年1月8日、ヌビアンとケルヴィンはクリアト諸島沖で原動機付帆船3隻を沈めた(実際はイタリア船団が落としていったガソリンタンクを攻撃)と報告した[10]。翌日、帆船1隻を沈めた[3]。1月16日、ヌビアンとケルヴィンはトリポリからランペドゥーザ島へ向かっていた商船ダンヌンツィオ(D'Annunzio、4,537トン)と護衛のイタリア水雷艇ペルセオを攻撃し、ダンヌンツィオを沈めペルセオを損傷させた[11]

1月18日から19日または19日から20日の夜、ヌビアンは駆逐艦パケナムギリシャ海軍ヴァシリッサ・オルガと共にイタリアの小型輸送船ストロムボリを沈めた[12][13]

1月22日、軽巡洋艦クレオパトラユーライアラスと駆逐艦ヌビアン、ケルヴィン、ジャーヴィスジャヴェリンズワーラ砲撃を行った[14]

4月30日、ヌビアンは駆逐艦パラディンと共同でイタリアの輸送船ファウナを撃沈、パラディン及びペタード英語版と哨戒中だった5月3日にはイタリア船カンポバッソと護衛の水雷艇ペルセオを発見、2隻とも撃沈している[2]。5月7日にヌビアンは駆逐艦ラフォーレイロイヤル英語版ターターと共に、ボン岬沖でドイツ海軍掃海艇M6616アルバ・エーダーとイタリア海軍の曳船ポルト・チェザーレオを沈めた[3]

6月、ヌビアンはパンテッレリーア島への上陸(コークスクリュー作戦)を支援。6月20日にはトリポリからマルタ島へ向かう国王ジョージ6世の御召艦である軽巡洋艦オーロラをジャーヴィス、ルックアウト英語版エスキモーと共に護衛した。その後もヌビアンはシチリアサレルノへの上陸作戦を援護している。

1943年12月に本国へ帰還後は、1944年4月までメインマストのラティスマストへの変更や短波方向探知機(HF/DF)、285型レーダーの装備などを含む改修作業に費やした。

1944年

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1944年5月に復帰後は本国艦隊第3駆逐艦戦隊(3rd Destroyer Flotilla)所属となり、6月にはノルマンディー上陸作戦を支援。その後は北極海をゆく援ソ船団と、ノルウェー沿岸で行動する本国艦隊の護衛を行った。ノルウェーでの活動には、トロンハイム・フィヨルドUボート基地とアルタフィヨルドに潜む戦艦ティルピッツへの空襲作戦が含まれる。12月、ヌビアンは第10駆逐艦戦隊(10th Destroyer Flotilla)へ転籍し、同じトライバル級駆逐艦アシャンティ英語版、エスキモー、ターターと共に海峡南西口で活動した[2]

1945年

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1945年に入るとヌビアンは極東への派遣が決まり、1945年3月にトリンコマリー東インド諸島艦隊に加入する。4月に戦艦クイーン・エリザベスフランス海軍リシュリューなどからなる第63任務部隊(Force 63)に配属されたヌビアンはビルマの戦いラングーンへ上陸するイギリス軍を支援(ビショップ作戦)、翌5月には、アンダマン・ニコバル諸島周辺の日本軍基地や艦船を攻撃する護衛空母の護衛にあたった。

6月5日、ヌビアンと駆逐艦ターター、エスキモー、ペン英語版、パラディンからなる第65部隊(Force 65)はニコバル諸島・サバン間での船舶攻撃を目的としてトリンコマリーより出撃した(イレギュラー作戦)[15]。6月12日、アンダマンからの兵力輸送を行うため派遣されていた日本の第57号駆潜艇および第二黒潮丸をロンド島英語版の北西でレーダーで捉え、ヌビアンが砲撃で第57号駆潜艇を沈め、エスキモーが雷撃で第二黒潮丸を沈めた[16]。これは、第二次世界大戦において物資輸送の妨害を目的としたイギリス海軍による最後の水上戦闘であった[2]。退避中日本軍機の攻撃を受け、ヌビアンから15ヤードの場所で爆弾が爆発したものの被害は無かった[15]

戦後

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日本がポツダム宣言の受諾を表明した後の9月2日には、ヌビアンは戦艦ネルソンらを護衛してペナンに入港し、現地の日本軍部隊の降伏を受け入れた。

ヌビアンは9月下旬に退役のため本国へ向けて出港、11月18日にポーツマスに到着し予備役に編入された。ヌビアンは1948年に廃棄リストに載り、ストリヴェン湖英語版標的艦として爆発物の実験に用いられた。

ヌビアンは1949年6月11日にブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーション(BISCO)にスクラップとして売却され、曳航後6月25日にブリトン・フェリーの解体地へ到着した[2]

栄典

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ヌビアンは生涯で13個の戦闘名誉章(Battle Honour)を受章した[17]

Norway 1940 ・ Calabria 1940 ・ Mediterranean 1940-43 ・ Libya 1940 ・ Matapan 1941 ・ Sfax 1941 ・ Greece 1941 ・ Crete 1941 ・ Malta Convoys 1941 ・ Sicily 1943 ・Salerno 1943 ・ Arctic 1944 ・ Burma 1944-45

この記録に並ぶのはヌビアンと共に地中海で戦った軽巡洋艦オライオン及び駆逐艦ジャーヴィスの2隻だけであり、二度の世界大戦に参加した地中海艦隊旗艦、戦艦ウォースパイトただ1隻のみが上回っている。

脚注

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  1. ^ ちなみにウォースパイトは第一次世界大戦でも1個を獲得している。
  2. ^ a b c d e f g https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-10DD-34Tribal-HMS_Nubian.htm
  3. ^ a b c https://uboat.net/allies/warships/ship/4427.html
  4. ^ この頃、本来の旗艦であったジャーヴィスが衝突事故で修理中だったためマック大佐はジェーナスを臨時の旗艦にしていた。Connell(1987) p50
  5. ^ The Kelly's, p.90
  6. ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, pp.163-164
  7. ^ Marco Mattioli, Savoia-Marchetti S.79 Sparviero Torpedo-Bomber Units, Osprey Publishing, 2014, pp.9-10
  8. ^ Connell(1987) p115
  9. ^ Connell(1987) p178
  10. ^ Struggle for the Middle Sea, p.205
  11. ^ Struggle for the Middle Sea, pp.205-206
  12. ^ Chronology of the War at Sea 1939-194, p.225
  13. ^ Struggle for the Middle Sea, p.206
  14. ^ The Kelly's, p.157
  15. ^ a b The Forgotten Fleet, p.232
  16. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、608ページ、The Forgotten Fleet, p.232
  17. ^ Warlow. Battle Honours of the Royal Navy. p. 155 

参考文献

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  • G.G.Connell : Mediterranean Maelstrom: HMS Jervis and the 14th Flotilla (1987) ISBN 0-7183-0643-0
  • Brice, Martin H. (1971). The Tribals. London: Ian Allan. ISBN 0-7110-0245-2 
  • English, John (2001). Afridi to Nizam: British Fleet Destroyers 1937–43. Gravesend, Kent: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9 
  • Friedman, Norman (2006). British Destroyers and Frigates, the Second World War and After. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-86176-137-6 
  • Haarr, Geirr H. (2010). The Battle for Norway: April–June 1940. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-051-1 
  • Haarr, Geirr H. (2009). The German Invasion of Norway, April 1940. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-310-9 
  • Hodges, Peter (1971). Tribal Class Destroyers. London: Almark. ISBN 0-85524-047-4 
  • Lenton, H. T. (1998). British & Empire Warships of the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-048-7 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 
  • Whitley, M. J. (1988). Destroyers of World War Two. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-326-1 
  • Warlow, Ben (2004). Battle Honours of the Royal Navy: Being the officially authorised and complete listing of Battle Honours awarded to Her/His Majesty's Ships and Squadrons of the Fleet Air Arm including Honours awarded to Royal Fleet Auxiliary Ships and merchant vessels. Cornwall: Maritime Books. ISBN 1-904459-05-6 
  • A.E. Weightman : Crests and Badges of H.M. Ships (1957) ISBN (none)
  • Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
  • Christopher Langtree, The Kelly's: British J, K and N Class Destroyers of World War II, Nval Institute Press, 2002, ISBN 1-55750-422-9
  • G. HerMon Gill, Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy Volume I – Royal Australian Navy, 1939–1942, 1957
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社
  • John Winton, The Forgotten Fleet:The British Navy in the Pacific 1944-1945, Coward McCann, 1970

関連項目

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外部リンク

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