ノエル・アレ Noël Hallé | |
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エティエンヌ・オーブリーによる肖像画 | |
生誕 |
1711年9月2日 フランス王国、パリ |
死没 |
1781年6月5日 フランス王国、パリ |
ノエル・アレ(Noël Hallé、1711年9月2日 - 1781年6月5日)は、フランスの画家、版画家である。
パリで生まれた。祖父のダニエル・アレ(Daniel Hallé: 1614- 1675)はルーアン出身でパリで装飾画を描いた画家であり、父親のクロード=ギー・アレ(Claude-Guy Hallé: 1652-1736)もローマ賞を受賞した画家である。父親から絵画を学び、1820年に姉が画家のジャン・レストゥーと結婚していたのでレストゥーからも指導を受けた。1736年にローマ賞を受賞し、1737年から1744年の間、ローマに留学し、在ローマ・フランス・アカデミーの校長、ジャン=フランソワ・ド・トロワに学んだ[1] 。フランスに戻った後は王室から注文を受けて、大トリアノン宮殿やショワジー=ル=ロワ城、小トリアノン宮殿などの装飾画を描いた[1] 。
1748年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれ、准教授となり、1755年に教授となった。王立ゴブラン製作所の監督や、在ローマ・フランス・アカデミーの校長も務めた。
ノエル・アレの息子、ジャン=ノエル・アレは有名な医師になり、ナポレオンやシャルル10世の侍医を務めた。