ノーマン・R・オーガスティン Norman R. Augustine | |
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生誕 |
Norman Ralph Augustine 1935年7月27日(89歳) アメリカ合衆国 コロラド州、デンバー |
教育 | プリンストン大学 (理学) |
職業 | アメリカ有人宇宙飛行計画再評価委員会議長 |
ノーマン(ノーム)・R・オーガスティン(1935年7月27日 - )は、アメリカの航空宇宙実業家である。1975年から1977年にかけては、アメリカ陸軍次官を務めた。また、ロッキード・マーティン社の会長兼CEOを務めた。さらに、アメリカ有人宇宙飛行計画再評価委員会の議長にも選出された。
コロラド州で育ったオーガスティンは、プリンストン大学に入学し、極めて優秀な成績で航空工学の理学士を取得、その後、工学修士を取得した。また、優等生協会であるファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)、タウ・ベータ・パイ(Tau Beta Pi )およびシグマ・サイ(Sigma Xi)に選出されていた。
1958年、カリフォルニア州のダグラス・エアクラフト社に就職し、リサーチ・エンジニア、プログラム・マネージャー、およびチーフ・エンジニアとして勤務した。1965年以降は、国防長官府で国防研究技術局長補佐官として勤務した。1970年には、LTVミサイル・アンド・スペース・カンパニーに就職し、先進プログラムおよびマーケティング担当副社長として勤務した。1973年、陸軍次官補として政府に復職し、1975年に陸軍次官、その後、陸軍長官代理に就任した。1977年にマーティン・マリエッタ社のテクニカル・オペレーション担当副社長に就任し、社長兼COO(最高執行責任者)を務めた後、1987年にはCEO(最高経営責任者)、1988年には会長に選任された。1990年、オーガスティン委員会として知られる、アメリカ宇宙プログラムの将来に関する諮問委員会(Advisory Committee on the Future of the U.S. Space Program)の議長を務めた。1995年に創設されたロッキード・マーティン社の社長に就任し、その年の後半にはCEOに就任した。1997年にロッキード・マーティン社の会長兼CEOを退任したオーガスティンは、1999年までプリンストン大学で非常勤講師として勤務した[1]。
1999年、先進技術への投資によりアメリカの情報機関を支援するため、CIAが出資したベンチャー投資会社であるインキューテル(In-Q-Tel)社の創設を援助した[2]。
オーガスティンは、アメリカ赤十字社の会長兼幹部を9年間務めたほか、全米技術アカデミーの会長、米陸軍協会(Association of the United States Army)の議長兼会長、航空宇宙工業会(Aerospace Industries Association)の会長および国防科学委員会(Defense Science Board)の議長も務めた。また、アメリカ航空宇宙学会およびボーイスカウト・アメリカ連盟の会長でもあった。さらに、コノコフィリップス社、ブラック・アンド・デッカー社、プロクター・アンド・ギャンブル社およびロッキード・マーティン社の取締役会、ならびにコロニアル・ウィリアムズバーグの評議員会の一員でもあった。
現在は、メリーランド大学システムの理事およびジョンズ・ホプキンズ大学の名誉評議員であり、プリンストンおよびMIT(マサチューセッツ工科大学)の評議員会の元会員の立場にある。アメリカ合衆国国土安全保障省の諮問委員会の一員であるオーガスティンは、かつて、国家安全保障に関するハート・ルドマン委員会(Hart/Rudman Commission)の一員であり、科学技術諮問委員会(President’s Council of Advisors on Science and Technology)に16年間に渡って在籍していた。また、国家安全保障改革プロジェクト(Project on National Security Reform)の推進チームの一員である。さらに、アメリカ哲学協会、アメリカ芸術科学アカデミーおよびエクスプローラーズ・クラブ(Explorers Club)の一員でもある。
2000年12月に設置され、V-22オスプレイでの事故の発生を背景として、その計画を継続すべきか否かについて検討した、V-22計画検討委員会(Panel to Review the V-22 Program)というブルーリボン委員会の一員でもあった[3]。
2009年5月、オーガスティンは、月や火星などの探索に関するNASAの計画を再検討するために設立されたアメリカ有人宇宙飛行計画再検討委員会(Review of United States Human Space Flight Plans Committee)の議長に指名された[4]。
2011年には、南極でのアメリカの活動を評価する、アメリカ南極プログラムに関するブルーリボン委員会(the U.S. Antarctic Program Blue Ribbon Panel)の議長に指名された。2011年7月には、アメリカ輸送部門に対する原油の独占を減少させることを目的とし、IAGS(Institute for the Analysis of Global Security, グローバルセキュリティー分析研究所)が出資するアメリカ・エネルギー安全保障委員会(United States Energy Security Council)の一員となった[5]。
現在は、アメリカ海外メディア(America Abroad Media)諮問委員会[6]、ファインマン・スクール(Feynman School)諮問委員会[7]およびコード・オブ・サポート基金(Code of Support Foundation)諮問委員会[8]で委員を務めている。
オーガスティンは、アメリカ合衆国大統領からアメリカ国家技術賞、統合参謀長から殊勲公共奉仕章(Distinguished Public Service Award)を授与されている。また、軍人以外の者に対する国防総省の最高の勲章である殊勲文官奉仕章(Distinguished Civilian Service Award)を5回受章している。
国防改革(The Defense Revolution)およびシェイクスピア・イン・チャージ(Shakespeare In Charge)の共著者であり、オーガスティンの法則(Augustine's Laws)およびオーガスティンの旅行(Augustine’s Travels)の著者である。34の名誉学位を取得し、フーズ・フー・イン・アメリカ(Who’s Who in America)およびアメリカ議会図書館により、フーズ・フーの50周年を記念した「50人の偉大なアメリカ人(Fifty Great Americans)」の一人に選ばれた。130ヵ国以上の国々を旅行し、北極と南極の両方に行ったことがある。