ノーランズ (The Nolans) は、1970年代後半から1980年代前半にかけて人気を得た、アイルランド生まれでイギリスで活動していた姉妹グループである。もともとクラブ歌手だったトミー・ノーランとモリーン・ブレスリンの間に生まれた2男6女が両親とともに「ザ・シンギング・ノーランズ」としてデビューしたのが始まり。その後姉妹の一部が引退し、実娘らをメンバーとする形で活動を継続していたが2005年に解散。2009年に一部メンバーで再結成され、イギリスではニューアルバムをリリース。コンサートツアーなども行われている。
日本では1980年に『I'm in the Mood for Dancing』(ダンシング・シスター)がオリコンのシングルチャートでは1位になるなど大ヒットした。翌年、アルバム『Gotta Pull Myself Together』(恋のハッピー・デート)も1位となり、オリコンの洋楽では初めてシングル、LP、カセットの三冠王を記録した。
1991年にはJ-POPの楽曲を欧米のアーティストがカバーする、いわゆる「逆カバー」に挑戦し、同年の第33回日本レコード大賞の企画賞を受賞した。
- 1962年 仕事を求めて一家でアイルランドからイギリスのブラックプールへと移住。
- 1963年 後に生まれる末娘コリーンを除いた兄弟姉妹7人(息子2人と娘5人)と両親の計9人で「ザ・シンギング・ノーランズ」を結成。地元の教会学校などで歌を披露していた。
- 1972年 アルバム『ザ・シンギング・ノーランズ』とシングル『ブラックプール』『サイレント・ナイト』をリリース。
- 1974年 ロンドンに移住し、アン、デニース、モリーン、リンダ、バーニーの5人姉妹で「ノーラン・シスターズ(The Nolan Sisters)」として人気TVショーにデビュー。シングル『But I Do』(日本では後年発売されたアルバムに『思い出ロンリネス』という曲名で収録)をリリース。なおこの曲のメインボーカルはコリーンだが、正式メンバーではなかった。
- 1978年 デニースがソロ活動のため脱退。コリーンはソロのティーンアイドルとしてシングルをリリース。
- 1979年 年末にイギリスでシングル『I'm in the Mood for Dancing』がリリースされブレイク。全英チャートでは3位、アイルランドチャートでは2位を記録。なお、コリーンはこの時点でもアルバムに参加しているものの、正式メンバーではなかった。
- 1980年 アンが結婚により休業し、コリーンが正式メンバーとして加入、名前を「ノーランズ(The Nolans)」に改称。日本でも『I'm in the Mood for Dancing』が『ダンシング・シスター』という曲名で発売され、大ブレイクを果たす。
- 1981年 第10回東京音楽祭世界大会で「セクシー・ミュージック」を歌いグランプリ獲得。アンがエイミーを出産。
- 1982年 アンが復帰。
- 1983年 イギリスでノーランズ担当スタッフによるチャートの不正操作事件が発覚、シングル『Dressed to Kill』(日本未発売)が全英チャートから削除される。リンダがソロ活動のため脱退。
- 1986年 ロシアツアーを行う。
- 1990年 コリーンが結婚。
- 1994年 コリーンが出産のため引退。
- 1995年 バーニーが女優活動のため脱退。脱退前に録音された『I'm in the Mood for Dancing』の再レコーディングバージョンをリリース。
- 1998年 姉妹の父親であるトミーが、肝臓がんで死去。
- 2000年 アン、モリーンに加え、アンの長女であるエイミーと、その友人のJulia Duckworthもメンバーに加わり、小さな地方ライブ活動に専念。アンはこの年乳がんと診断される。
- 2005年 解散。
- 2006年 リンダが乳がんと診断される。
- 2007年 姉妹の母親であるモリーンが12月30日にアルツハイマーで81歳で死去。
- 2009年 モリーン、リンダ、バーニー、コリーンの4人で再結成。9月にニューアルバム「I'm in the Mood Again」をリリース、このアルバムは全英チャートの22位を記録。ダンシング・シスター発売30年になるのを記念して10月に英国とアイルランドでコンサートツアーを行った。その後ライブDVDもリリース。
- 2010年 バーニーが乳がんと診断される。
- 2012年 2013年春に最後のコンサートツアーを行うことを告知したが、その後バーニーの乳がん再発により延期が発表された。
- 2013年 7月4日、バーニーが乳がんにより52歳で死去[1]。
- 2020年 イギリスの新シリーズTV番組「The Nolans Go Crusing」でコリーン、リンダ、アン、モリーンの4人姉妹が登場し、番組内で10年ぶりに歌を披露した。
- 長女。
- 次女。脱退後はソロ活動し、女優としても活躍。
- 三女。通称モリーン。唯一最初から継続して活動している。
- 四女。脱退後はデニース同様ソロ歌手、女優となる。
- 五女。通称バーニー。脱退後はタレントとして活躍。乳癌のため死去。
- 六女。一時引退したが、タレントとして復帰。
- アンの長女。
- エイミーの友人。
- ダンシング・シスター/I'm in the Mood for Dancing (1980.7.21) オリコン1位獲得 全英シングル最高位3位
- 恋のハッピー・デート/Gotta Pull Myself Together (1980.10.21) オリコン洋楽シングルチャートで1980年12月22日付から5週連続1位[2]
- ときめきTWENTY/Who's Gonna Rock You (1981.2.11)
- セクシー・ミュージック/Sexy Music (1981.3.21)
- 夏は16才/Chemistry (1981.6.21)
- やさしくラブ・ミー/Don't Love Me Too Hard (1981.12.1)
- クラッシング・ダウン/Crashing Down (1982.6.21)
- ダンシング・シスター(1980.7.21) 盤番22・3P-222、Epic Sony、25cm=10インチLP。当時Epic SonyはNU-DISKという名称で売っていた。本国盤無し。
- ダンシング・シスター(30cm)(1980.10.21)盤番25・3P-236、Epic Sony 本国"Nolan Sisters"(英語版)で1979年11月19日発売。
- 恋のハッピー・デート(1980.11.21)盤番25・3P-244、Epic Sonyオリコン1位獲得 オリコン洋楽アルバムチャートで1980年12月8日付から通算10週1位[2]。本国"Making Waves"(英語版)1980年10月17日発売。「恋のハッピー・デート」と"Making Waves"は収録曲が違う(「恋のハッピー・デート」は"Making Waves"から「セクシー・ミュージック」が外され「ダンシング・シスター」が収録されている)
- 愛するハーモニー~ミート・ザ・ノーランズ(1981.2.25)25cm×2枚組、盤番P-5192J、P-5193J、ワーナー・パイオニア 本国"20 GIANT HITS"1978年7月7日発売。
- セクシー・ミュージック(1981.3.21) 盤番28・3P-266、Epic Sony、本国盤なし。
- ノーランズ・ヒット全曲集/ALL ABOUT THE NOLANS(1981.11.21) 2枚組、盤番35・3P-321、35・3P-322、Epic Sony、本国盤なし。
- やさしくラブ・ミー/DON'T LOVE ME TOO HARD(1981.12.24、盤番28・3P-331、Epic Sony
- PLAYBACK Part2(1991.7.21)
- ROCK AND ROLLING IDOL~なんてったってアイドル~(1991.8.21)
- TIDAL WAVE~淋しい熱帯魚~(1991.9.21)
- THE HOTTEST PLACE ON EARTH~世界でいちばん熱い夏~(1992.5.21)
- 想い出の九十九里浜(1992.6.21)
- PLEASE DON'T~ふりむかないで~(1992.9.23)
- ダンシング・シスター〜ザ・ベスト・オブ・ノーランズ(2004)
- ノーランズ シング 百恵 2005(2005.1.19) ・・・「PLAYBACK Part2」のマルチ・テープを基に、来日したアンとモーリンが、同じく来日したプロデューサーのクライヴ・スコットの指揮の下、乃木坂のソニーのスタジオに於いて、コーラス又は追加ボーカルを全曲にオーバーダビング。一部、バック・トラックの差し替えも行ない、往年のノーランズ・サウンドを復活させ新装版としてリリース。DVD「プレイバックPart2」収録。
- シングル・コレクション(2005.3.24)
- ~ダンシング・シスター〜ノーランズ・ベスト・ヒット・コレクション(2007)
- I'm in the Mood Again(2009・日本未発売)
- ノーランズ~J-POP胸キュンカバ(2017.7.19)
- ドント・ドゥー・ザット/Don't do that(1981):ボブ・ヤング、ホワイトスネイクのミッキー・ムーディ、モーターヘッドのレミーらのバンド、ヤング・アンド・ムーディー・バンド/Young and Moody Band のコーラスとして参加。
1980年には石野真子が『恋のハッピー・デート』を、1990年にはWinkが『セクシー・ミュージック』『ダンシング・シスター』(相田翔子ソロ、邦題『銀星倶楽部』)を、2004年にはBONNIE PINKが『ダンシング・シスター』を、2007年にはキグルミが『ダンシング・シスター』をそれぞれカバーしている。