ハイボール (Highball) とはカクテルの名称。ウイスキーをソーダ水(炭酸水)で割ったもの(ウイスキー・ソーダ)が元祖であるが、広義ではスピリッツ、リキュールをソーダやトニックウォーターなどの炭酸飲料や、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったもの全般を指す。日本では焼酎やウォッカなどをベースとしたカクテルを焼酎ハイボール(チューハイ)と呼んでいる。
ヨーロッパでは1760年代になって人工的に炭酸水を作り出せるようになったことで、白ワインを炭酸水で割ったカクテルのスプリッツァーなどが大衆化した[1]。1771年にはトニックウォーターが開発されてジン・トニックを産み出し、19世紀後半までイングランド上流階級にはブランデー・ソーダが愛飲されていた[1]。しかしながら、ブランデー・ソーダはハイボールとは呼ばれておらず、古いカクテルブックには、他のスピリッツやリキュールと炭酸水の組み合わせがハイボールの項目に収められている[2]。
ウイスキーと炭酸水割りをハイボール(ウイスキー・ハイボール)と呼ぶようになり、それが他のスピリッツやリキュールの炭酸水割りもハイボールと呼ぶようになったのがいつなのかははっきりとしていない[2]。
アメリカ合衆国では大陸横断鉄道敷設時にハイボールが誕生したとする説が唱えられている[2]。ジン・リッキーなどのリッキースタイルの原型、アメリカンウイスキーで作るジョー・リッキーは1883年にワシントンD.C.で誕生したカクテルだが、ウイスキーと炭酸水で作られるにもかかわらず、ハイボールとは呼ばれていない[3]。このことから、ハイボールがアメリカ合衆国で誕生していたとするならば、1883年頃の東部アメリカにはまだ伝わっていなかったものと考えられる[3]。
イギリスでは、19世紀半ば過ぎからフィロキセラの害によりワインやブランデーの入手が困難になり(19世紀フランスのフィロキセラ禍)、スコッチ・ウイスキー(ブレンデッドウイスキー)が誕生すると共に人気となる[4]。上述のようにブランデー・ソーダが好まれていたが、これも次第にウイスキー・ソーダ(スコッチ・ソーダ)に移っていったものと考えられる[4]。
誕生したのがいずれかはともかく、アメリカでの1910年前後のアメリカンウイスキーの広告には、ウイスキー・ソーダでの飲み方を薦めているものがあると共にハイボールという言葉も使われており、禁酒法の施行前までにはハイボールの呼び名が定着していたものと考えられる[3]。
日本では昭和初期にはハイボールを飲ませるバーがあった[3]。
1942年(昭和17年)にサントリーが『中央公論』(中央公論新社)に出稿した広告では「炭酸水で割るとウイスキーの持っている深い味が死ぬ」とし、ストレートか冷水で薄める飲み方を勧めている[5]。そのサントリーは、第二次世界大戦後にはトリスバーをはじめハイボールブームをけん引することになる[5]。
日本のウイスキー市場は1983年をピークに急激に縮小し、2007年には販売量ベースで6分の1にまで落ち込んだ[6]。調査の結果、ウイスキーは他のアルコール飲料に比べて高価格であること、それにウイスキーには中高年がグラスを片手に氷の音を響かせながら飲むという古いイメージがあることから、若者がウイスキーを敬遠していたこと、低アルコール飲料の台頭によって、若者のビール離れも指摘される時代であり、若者を取り込んだ施策が必要とされた[6]。そこで「再発見」されたのがハイボールという飲み方であった[6]。2008年にサントリー角瓶による「角ハイボール」復活プロジェクトがスタートし、これが当たったことで、翌2009年には17%の市場拡大となった[6]。その後、トリスウイスキーの「ハイボール」、「角ハイボール缶」などを発売し、「ハイボール」という飲み方を日本市場に定着させ、ウイスキー市場の底上げに貢献することになった[6]。
語源については諸説ある。