ハディ・チャヤント Hadi Tjahjanto | |
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生年月日 | 1963年11月8日(61歳) |
出生地 | インドネシア、東ジャワ州、マラン |
出身校 | インドネシア空軍士官学校 |
前職 | 軍人 |
現職 | 政治家 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 大将 |
配偶者 | ナニク・イストゥマワティ |
子女 |
ハニカ・レリンガ・ダラ・アユ ハンディカ・レランガ・ビマ・ヨガタマ |
親族 | バンバン・スダルド(父) |
在任期間 | 2024年2月21日 - 2024年10月20日 |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
在任期間 | 2022年6月15日 - 2024年2月21日 |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
在任期間 | 2017年12月6日 - 2021年11月17日 |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
在任期間 | 2017年1月18日 - 2018年1月17日 |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
ハディ・チャヤント(インドネシア語: Hadi Tjahjanto, 1963年11月8日 - )は、インドネシアの政治家、元軍人。同国第17代政治・法務・治安保障担当調整大臣、第14代土地空間計画大臣、インドネシア国軍司令官、インドネシア空軍参謀総長を務めた。
1963年11月8日にインドネシア、東ジャワ州、マランにて誕生する。ハディの父バンバン・スダルドは、アブドゥル・ラフマン・サレ空軍基地の要員として勤務しており、高校卒業後はインドネシア空軍士官学校への入学を勧めた。1987年までに空軍士官学校と飛行学校を卒業し、パイロットとなった。
CASA C-212軽空輸機の操縦を務めた後、1993年に飛行隊訓練士官に昇進し、1996年にはより重い飛行機を運航するようになった。1997年には飛行隊長となり、スラカルタのアディスマルモ国際空港に移り、その後昇進を重ねるにつれアジスチプト国際空港に異動した[1]。2010年から2011年にかけてはアディスマルモ空軍基地の司令官を務め、当時のスラカルタ市長ジョコ・ウィドドと親交を深めた。その後も空軍の報道官、アブドゥル・ラフマン・サレ空軍基地司令官を務めた。
ジョコウィ当選後、2015年7月25日に大統領軍事秘書に任命され、少将に昇進した。国務長官を経て、国防省の監察官となり、空軍元帥に昇進した。国防省時代には、F-16とAH-64の購入における汚職の摘発に貢献し、最終的に准将が起訴され有罪となった[2]。2017年1月20日、ジョコウィは退任するアグス・スプリアトナの後任としてハディを空軍の新参謀長に任命した。
ハディの名前は、インドネシア国軍のガトット・ヌルマンチョ司令官によって、3人のうちの1人として指名されていた。この昇進に伴い、ハディは空軍元帥となった[3]。ガトットは2018年に引退する予定であったため、2017年12月4日、ジョコウィはファドリ・ゾン副議長を通じて人民代表会議に書簡を提出し、ハディを唯一の後任候補として指名した。ハディは同年12月8日に正式に就任し、2006年から2007年にかけてのジョコ・スヤントに次いで2人目の空軍出身の国軍司令官となった。
2022年1月、ジョコウィによってマンダリカ・インターナショナル・ストリート・サーキットの現場指揮官に任命された[4]。同年6月22日、ソフヤン・ジャリルの後任として、インドネシア前進内閣の第14代土地空間計画大臣に[5]、2024年2月21日には政治・法務・治安保障担当調整大臣任命された。