ハリー・ンクンブラ Harry Nkumbula | |
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生年月日 | 1916年 |
出生地 | 北ローデシア マアラ |
没年月日 | 1983年10月8日(67歳) |
所属政党 |
ザンビア・アフリカ人民族会議(1950–1973) 統一民族独立党(1973–1978) |
ハリー・ムワンガ・ンクンブラ(英語:Harry Mwaanga Nkumbula)は、ザンビアの政治家。 ハリー・エンクンブラ、ハリー・ヌクンブラとも。
1916年、イギリス保護領北ローデシアのマアラ(Maala)村に生まれ、メソジスト系のミッション・スクールで教育を受けた[1]。1944年から1946年までウガンダにあるマケレレ大学に通い、1946年に奨学金を得てロンドン大学に入学、教育学の学位を取得し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで政治学と経済学を2年間学んだが学位を取得せずに退学し、1950年北ローデシアに帰国した[1]。
1951年、アフリカ人民族会議(African National Congress、ANC、国民会議派とも)の党首に選出される[1]。1953年にはケネス・カウンダがANC書記長となり、ンクンブラの右腕となった[2]。1958年、党首ンクンブラに対し「白人の影響を過度に受け態度が軟化している」としてカウンダの指導する若手急進派が反発、ANCを離脱して分派(後の統一民族独立党 (UNIP) )を結成した[1][3][4][5]。1964年に北ローデシアがイギリスから独立しザンビア共和国となると、ンクンブラと決別してUNIPを率いたカウンダがザンビア大統領となり、ンクンブラは連立パートナーとなるもキャリアの多くをカウンダに対する批判に費やした[1]。
1983年10月8日、ルサカのルサカ大学病院で死去した[1]。