ハワーデン子爵 Viscount Howarden | |
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Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure a Lion rampant Argent (Maude); 2nd and 3rd, Argent three Bars Gemelles Sable over all a Lion rampant Gules charged on the shoulder with a Cross Crosslet fitchée Or Crest:A Lion's Jamb erased erect proper grasping a Sprig of Oak Leaves slipped Vert Supporters:On either side a Lion Gules each charged on the shoulder with a Cross Crosslet fitchée Or
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創設時期 | 1793年12月5日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | アイルランド貴族 |
初代 | 初代子爵コーンウォリス・モード |
現所有者 | 9代子爵ロバート・モード |
相続人 | ヴェリアン・モード閣下 |
付随称号 | ド・モンタルト男爵 (ダンドラムの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 毅然さによる安泰 (Virtute Securus) |
ハワーデン子爵(英: Viscount Hawarden)はイギリスの子爵、貴族。アイルランド貴族爵位。
第3代準男爵サー・コーンウォリス・モードが1785年に叙されて以来、モード家が保持する爵位。
モード家の歴史は古く17世紀後半まで遡ることができる。サー・ロバート・モード(1677–1750)が1705年に(ティペラリー県ダンドラムの)準男爵(Maude Baronetcy, of Dundrum in the County of Tipperary)に叙されたことに端を発する。
ロバートの死後はその長男トーマス(1727–1777)が準男爵位を襲った。彼はアイルランド庶民院議員を務めたほかティペラリー県長官職等を歴任したのち、1776年にアイルランド貴族としてティペラリー県ハワーデンのド・モンタルト男爵(Baron de Montalt, of Hawarden in the County of Tipperary)に叙された。しかし彼には子がなかったためこの男爵位は一代で廃絶し、弟が第3代準男爵の地位を承継した[1]。
第3代準男爵コーンウォリス(1729–1803)はロスコモン選挙区選出のアイルランド庶民院議員を務めたのち、1785年にティペラリー県ハワーデンのド・モンタルト男爵(Baron de Montalt, of Hawarden in the County of Tipperary)に叙された。ついで1793年にはハワーデン子爵(Viscount Hawarden)に陛爵している[2]。
さらに初代子爵のひ孫にあたる4代子爵コーンウォリス(1817–1905)はダービー・ディズレーリ及びソールズベリー内閣で貴族院与党院内幹事を長きにわたり務めたのち、1886年にティペラリー県ダンドラムのド・モンタルト伯爵(Earl de Montalt, of Dundrum in the County of Tipperary)に叙された[3][4]。しかし彼には子がなかったため、彼の死とともに伯爵位は廃絶した。その一方で初代子爵の次男の子孫にあたるロバート・ヘンリー・モード(1842–1908)が5代子爵位を承継した。
その後、4代子爵の孫にあたる6代子爵ロバート(1890–1914)がコールドストリームズ連隊付将校として第一次世界大戦に従軍し、西部戦線で戦死したため[5]、6代子爵のいとこが7代子爵の地位を相続した[4]。 その後は7代子爵の系統で現在に至っている。
一族の邸宅はケント州エディシャム近郊のグレート・ボシントン・ファーム。なおティペラリー県カッシェルに位置するダンドラム・ハウスは子爵家の旧邸宅であった。
現当主である第9代ハワーデン子爵ロバート・コナン・ウィンダム・レズリー・モードは以下の爵位を保有している[6]。
法定推定相続人は現当主の息子であるヴェリアン・ジョン・コナン・ユースタス・モード閣下(1997 - )。