ハワード・フィンケル | |
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レッスルマニア28にて(2012年) | |
プロフィール | |
本名 | ハワード・フィンケル |
ニックネーム | ザ・フィンク |
身長 | 173cm |
誕生日 | 1950年6月7日 |
死亡日 | 2020年4月16日(69歳没)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニュージャージー州 ニューアーク |
所属 | WWE |
デビュー | 1975年[2] |
ハワード・フィンケル(Howard Finkel、1950年6月7日 - 2020年4月16日)は、アメリカ合衆国のプロレス団体WWEのリングアナウンサー。愛称はザ・フィンク(The Fink)。
2002年までリード・リングアナウンサーを務め、近年はWWEのパブリケーション業務を担当していた[3]。
1975年、ビンス・マクマホン・シニアのWWWF時代からWWEに在籍し[2]、1977年よりマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦のリングアナウンサーを担当。以降は団体のリード・リングアナウンサーを任され、ブルーノ・サンマルチノ、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、ブレット・ハート、ショーン・マイケルズ、ジ・アンダーテイカー、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロックなど、WWWF〜WWF〜WWEの歴代のトップスターをコールした。
1970年代後半から1980年代前半にかけては新日本プロレスが当時のWWFと提携していたこともあり、アントニオ猪木、藤波辰巳、坂口征二、ストロング小林、キラー・カーン、ミスター・サイトー、リッキー・チョーシュー、タイガーマスク、前田日明、ザ・コブラなど、ニューヨークに登場した日本人選手も数多くコールしている。
ブレット・ハート全盛時のニュージェネレーション期のWWEでは悪徳マネージャーのハービー・ウィップルマンとの抗争アングルが展開され、1995年1月9日には初めて試合に出場し、ウィップルマンを相手にタキシードマッチを行った[4]。1999年からはトニー・チメルやリリアン・ガルシアに徐々に後任を譲るようになるが、アングルの上ではリード・リングアナウンサーの座を巡る彼らとのストーリーが組まれ、同年8月から10月にかけてはクリス・ジェリコの部下となり、ヒールのポジションでチメルと抗争[5][6]。2002年にはリリアン・ガルシアとも争い、8月26日のRAWでは彼女とのイブニングガウン&タキシードマッチが行われている[7]。
以降はRAWのリングアナウンサーを正式にリリアンに任せて第一線から退き、近年はWWEの広報部門に携わりながら、レジェンド・セレモニーなどで時折アナウンスを担当した[3]。30年以上に渡るWWEでの功績をたたえ、2009年にはWWE殿堂に迎えられた。WWE.comのトーク・コーナー "Byte This" のホストやコラム執筆を手掛けていたこともあり、リッキー・スティムボートのニックネーム "ザ・ドラゴン" の名付け親でもある[3]。
2011年11月20日にマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズでは、アルベルト・デル・リオの私設リングアナウンサーであるリカルド・ロドリゲスに対抗し、CMパンクのゲスト・リングアナウンサーとして登場した[8]。2012年7月23日のRAW1000回記念放送 "RAW 1000" では、往年のレジェンドが大挙登場したヒース・スレイター対リタ戦のリングアナウンサーを務めた。