ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ(Heart of America Sports Attractions)は、主にカンザス、ミズーリ、ネブラスカ、アイオワの各州で興行を行っていたアメリカ合衆国のプロレス団体[1]。
セントラル・ステーツ・レスリング(Central States Wrestling、略称:CSW)のブランドネームでも知られ、NWA結成前はミッドウェスト・レスリング・アソシエーション(Midwest Wrestling Association、略称:MWA)、NWA脱退後はワールド・レスリング・アライアンス(World Wrestling Alliance、略称:WWA)として活動した。
団体の本社と運営の本拠地がミズーリ州カンザスシティにあったため、このテリトリーは単に『カンザスシティ』とも呼ばれた。NWAの『中西部地区』、『セントラル・ステーツ地区』はこの団体を指す。
団体は1948年7月に創立し、1989年初頭に消滅した。団体のテリトリーは、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)の元々のテリトリーのひとつで、NWAの6人の創設者のうちの2名(ポール "ピンキー" ジョージとオーヴィル・ブラウン)がプロモートしていた[2]。
2005年、「セントラル・ステーツ・レスリング」という名称は、ナショナル・レスリング・アライアンスのNWAミッドウェストが復活させた。新たなセントラル・ステーツ・レスリングはカンザス州ローレンスを本拠地としたが、名前を除いてはハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズとはまったく関係がないインディー団体である。
NWA結成以前は元々ミッドウェスト・レスリング・アソシエーションとして知られていた。カンザス、ミズーリ、ネブラスカ、アイオワの各州で興行を運営しブッキングしており、その後NWAの重要なテリトリーになると見られていた。NWAが創設される1958年まで、このテリトリーはピンキー・ジョージと、史上初のNWA世界ヘビー級王座に就いたオーヴィル・ブラウンによってプロモートされていた。
1958年、選手兼プロモーターであるボブ・ガイゲルが引き継ぎ、パット・オコーナーとハーリー・レイスと共同で「ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ社」を立ち上げた。団体はNWAの要石として存続し、ガイゲルはNWAのプロモーター委員会に名を連ね、NWA最後の「栄光の日々」である1978年から1987年までは会長職を務めた[2]。『セントラル・ステーツ・レスリング』というブランド名は、全米で名を知られる存在ではなかったが、1973年にハーリー・レイスが初めてNWA世界ヘビー級王座を手にした時からCSW(とその姉妹団体のセントルイス・レスリング・クラブ)に注目が集まった[1]。
1986年、ガイゲルはジム・クロケット・プロモーションズ(JCP)のオーナーであるジム・クロケット・ジュニアに団体を売却した。JCPによるテリトリー運営は1986年9月から1987年2月までという短い間で、その後ボブ・ガイゲルは団体を買い戻し、ジョージ・パトラスキと共同経営した[3]。
NWA会長職を降りた後、ガイゲルは1987年後半にNWAから脱退し、ジム・クロケットとビンス・マクマホンによる全米拡大に対抗すべくワールド・レスリング・アライアンス(WWA)として知られる運営母体を設立した。初代WWA世界王者は1988年1月23日に行われたトーナメント決勝でディック・スレーターを破ったマイク・ジョージ[4]。海外武者修行中だった蝶野正洋も同王座を獲得している[4]。しかしこの動きは成果を挙げることなく、ガイゲルは1989年初頭にWWAを閉じた[3]。