ハーフペニー橋 | |
---|---|
| |
基本情報 | |
国 |
![]() |
所在地 | ダブリン |
交差物件 | リフィー川 |
用途 | 人道橋 |
設計者 | ジョン・ウィンザー |
開通 | 1816年5月 |
座標 | 北緯53度20分45.96秒 西経6度15分46.8秒 / 北緯53.3461000度 西経6.263000度座標: 北緯53度20分45.96秒 西経6度15分46.8秒 / 北緯53.3461000度 西経6.263000度 |
構造諸元 | |
材料 |
鋳鉄(アーチ) 木材(デッキ) セメント(デッキ、2015年) |
全長 | 43 m(3.35 m 上昇) |
幅 | 3.66 m |
高さ | 48 m |
地図 | |
ダブリンにおけるハーフペニー橋の位置 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
ハーフペニー橋(愛: Droichead na Leathphingine、英: Ha'penny Bridge)は、1816年5月にアイルランドのダブリンにあるリフィー川に架けられた人道橋[1][2]。正式名称は、リフィー橋(愛: Droichead na Life、英: Liffey Bridge)。
元々はウェリントン橋(ダブリン出身のウェリントン公爵にちなんで)と呼ばれていたが、リフィー橋へ改名された。リフィー橋は、現在も橋の正式名称だが、英語では一般的にヘイペニー橋(Ha'penny Bridge)、日本語ではハーフペニー橋と呼ばれている[3][4]。
ハーフペニー橋が建設される前には、ウィリアム・ウォルシュが運営する7隻のフェリーがリフィー川を渡っていた[1]。フェリーの状態は悪く、ウォルシュはフェリーを修理するか、橋を架けるかのどちらかをしなければならないと知らされた。ウォルシュは後者を選択し、100年間、橋を渡る人から半ペニー(ha'penny)の通行料を徴収する権利を与えられた[5]。
橋は鋳鉄製で、イギリスのシュロップシャー州で鋳造された[6]。
当初、通行料は建設費ではなく、それに代わるフェリーの料金に合わせて徴収されていた。さらに、建設の条件として、ダブリン市民が橋と通行料を「好ましくない」と判断した場合には、ダブリン市の費用負担なしで撤去することが定められていた[7]。
通行料は一時は1ペニー半(1.5ペンス)に値上げされたが、最終的には1919年に取り下げられた。通行料がかかっている間は、橋の両端に改札口が設けられていた。
ハーフペニー橋の製造は、当時のダブリン市長ジョン・クラウディウス・ベレスフォードが、イギリスのコールブルックデールに依頼した。リートリム県で採掘された鉱石を使用し、鋳鉄製の横梁を18分割してダブリンに出荷した[8]。設計と架設は、コールブルックデールの手下の一人であるジョン・ウィンザーが監督した[9]。
2001年には、この橋を1日に利用する歩行者の数は27,000人に達した。このような交通量を考慮し、構造調査の結果、橋の改修が必要であることが示された[7]。橋は2001年中に修理と改修のために閉鎖され、2001年12月に元の白い色のままで再開された[6]。
物議をかもしたが、数々の特徴が取り除かれたものの、構造物は古い部品の多くを保持するために再建された。修復作業はハーランド・アンド・ウルフによって行われた[10]。
2012年、ダブリン市議会は、メンテナンスと破損の危険性を理由に、ハーフペニー橋とその近くのミレニアム橋から多数の愛の南京錠を撤去し、これ以上追加しないよう人々に要請した[11]。2013年には、橋から300kg以上の錠前を撤去し、橋に南京錠をかけないように呼びかける看板を設置した[12][13]。