この項目「ハー・ヴァン・タン」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:vi:Hà_Văn_Tấn 02:16, 4 October 2010 (UTC)) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2011年2月) |
ハー・ヴァン・タン(Hà Văn Tấn / 何文晉、1937年8月16日 - 2019年11月27日)は、ベトナムの考古学者・歴史学者(古代・中世史)。ベトナム社会科学院考古学院元院長。
ハティン省ギースアン県のティエンディエンにて、文人官僚を輩出した名家に生まれる。彼の一族からは、進士で文筆家のハー・トン・ムック(Hà Tông Mục、何宗穆)、進士で尚書を務めたハー・コン・チン(Hà Tông Trình、何宗程)、ハー・ヴァン・ダイ(Hà Văn Đại、何文玳)などの文人が出ている。1959年、ハノイ文科大学史地学部卒業と同時に講師に任用され、半世紀あまりハノイ総合大学・ハノイ国家大学にて研究・教育に当たった。また、歴史学部の歴史学方法論部門の創設者でもある。ベトナム社会科学院考古学院の院長を長く務めた(ハノイ大学歴史学部とは兼任)。国内外で250以上の研究論文を発表すると同時に、歴史学・考古学分野で20人以上の博士論文執筆者を指導した。人民教師の称号を受けるとともに、2001年にはホーチミン賞(第2次)を授与された。