バイター (護衛空母)

1943年5月に撮られた「バイター」
艦歴
発注: サン社チェスター造船所
起工: 1939年12月28日
進水: 1940年12月18日
就役: 1942年5月1日に竣工
その後: 1945年フランス海軍に移管、1966年にアメリカ海軍に返還。
性能諸元
排水量: 基準:12,850トン
満載:15,300トン
全長: 151.25m
水線長: 150.2m
全幅: 水線幅:21.2 m
艦幅:23.7m
吃水: 基準:6.7m
満載:7.75m
飛行甲板: 縦:120m(1942年:134.7m)
横:21.3m
機関: ドックスフォード式2サイクル6気筒ディーゼル機関2基1軸推進
最大出力: 8,500hp
最大速力: 16.5ノット
航続距離: 不明
燃料: 重油:1,360トン、航空燃料:164トン)
乗員: 555名(搭乗員込)
兵装(1942年): Marks 9 10.2cm(50口径)単装速射砲3基
エリコン 20mm(76口径)単装機銃15基
12.7mm(90口径)単装機銃6基
兵装(1943年): Marks V 10.2cm(45口径)単装高角砲3基
エリコン 20mm(76口径)連装機銃4基&同単装機銃11基
12.7mm(90口径)単装機銃6基
航空兵装: 搭載機:15機[注釈 1]
エレベーター:1基
カタパルト:1基

バイターHMS Biter, D97)は連合国軍護衛空母アヴェンジャー級アメリカ合衆国で建造され、イギリス海軍に譲渡された。第二次世界大戦では、地中海戦線で行動したあと、大西洋攻防戦における船団護衛任務に従事した。世界大戦終結直前にアメリカ海軍に返還された。その後、自由フランス海軍に譲渡されてディクスミュードと改名し、海軍航空隊Aviation navale)が運用した。

艦形

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空母「ヴィクトリアス」から撮られた「バイター」と「アヴェンジャー」。右舷側に艦橋を持つのが「バイター(前側)」で、マストのみが「アヴェンジャー(後側)」。

本級は商船から航空母艦に改造されたクラスであるが、改装時期により艦形が異なる。「アヴェンジャー」と「チャージャー」は平甲板型であったが、「バイター」と「ダッシャー」は右舷側に艦橋を設置しており異なっていた。改造の方法は貨物船としての完成後に改造された「アーチャー」と類似し、船体上に真四角形の飛行甲板を張り、飛行甲板と船体の間に高さ4.88mの格納庫(ハンガー)を設けており艦尾側の側面は密閉された。

艦体の全長151mに対して飛行甲板長は125m、艦幅21.2mからオーバーハングするように甲板幅は23.2mに達した。元々が低速な商船であったが、飛行甲板上のカタパルト1条により艦載機を射出する事が可能であった。しかし、引き渡し後にイギリス海軍の艦載機の問題により、飛行甲板の長さを134.7mまで延ばす改良が実施されて就役時期が伸びた。飛行甲板の中央部には格納庫から艦載機を運用するための縦12.8m×10.4mの5.4トンエレベーター1基が設置されていた。

兵装

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1943年に撮られた「バイター」。アメリカ式の護衛空母は飛行甲板のスペースを阻害しないように張り出しを設けて対空火器を分散配置しているのが特色で10.2cm高角砲に換装済みである。

元々が民間の商船であったために武装は船体上の空きスペースに分散配置するしかなく、対艦用に「Marks 9 10.2cm(50口径)速射砲」を張り出し(スポンソン)を設けて艦首甲板上に並列で2基、艦尾に1基の計3基を配置した。その性能は14.97kgの砲弾を仰角20度で14,560mまで届かせる射程を得ていた。この砲を単装砲架で3基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角20度・俯角15度である。旋回角度は300度の旋回角度を持つ。発射速度はカタログデーターは毎分8~9発であった。 他に近接用に甲板の脇に「エリコン 20mm(76口径)単装機銃」を単装砲架で15基と12.7mm(90口径)機銃を単装砲架で6基配置した。これらの火器を搭載するために79型および271型レーダーを搭載した。

就役後の1942年8月に10.2cm速射砲はイギリス海軍式の「アームストロング Marks V 10.2cm(45口径)高角砲」に換装された。その性能は14.06kgの砲弾を仰角44度で15,020m、最大仰角80度で9,450mの高度まで到達させることができた。これを単装砲架で3基を搭載した。砲架は360度の旋回角度があったが実際は上部構造物により射界に制限があった。砲身の俯仰は仰角85度・俯角5度で発射速度は毎分10~15発だった。他にエリコン 2cm単装機銃4基を撤去して同2cm連装機銃4基を設置し、単装機銃は11基となった。

機関

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機関構成はドッグスフォード式2サイクル過給6気筒ディーゼル機関(4,250馬力)2基を電磁式クラッチと1段減速ギアで接続して1軸推進で8,500馬力を発揮し、速力16.5ノットを発揮した。

艦歴

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TBFアベンジャーより撮影された「バイター」
発艦するソードフィッシュから撮影した「バイター」。飛行甲板に2機のF4F戦闘機が駐機している。

艦はペンシルベニア州チェスターのサン社で海事委任契約の下にチェスター造船所にて1939年に起工、1940年12月18日に貨物船「リオ・パラナRio Parana)」として進水し、その後アメリカ海軍に購入されて護衛空母へと改装、1940年にイギリス海軍に移管された。なおアヴェンジャー級空母のうち「チャージャー」は1941年10月にアメリカ海軍へ返還され、翌年3月に就役した[2]

地中海での幾度かの航空機輸送任務の後、イギリスに戻り実戦の作戦活動に入る。第800海軍航空隊を搭載し、トーチ作戦に参加した。作戦当初は、戦艦「ロドニー」や空母「アーガス」と同じ部隊にいた。

1944年に「バイター」の飛行甲板で撮られたF4F ワイルドキャット。

1943年3月に艦上戦闘機シー・ハリケーン12機と艦上雷撃機フェアリー ソードフィッシュ3機を積み込み、第811海軍航空隊を乗艦させ、船団護衛任務を実施する。

同年4月のONS-4船団(イギリス発、南アメリカ行き)の護衛に加わる[3]4月23日、船団に触接したドイツ海軍のU-191をイギリス駆逐艦「へスペラス」がヘッジホッグを使用して撃沈した[3]4月25日U-404(艦長オットー・フォン・ビューロ少佐)は「バイター」と駆逐艦部隊を発見し[3]、空母にむけて魚雷4本を発射した[4]。魚雷は早爆したが[4]、ドイツ側は「アメリカ海軍正規空母レンジャーは魚雷命中により爆沈した」と報道している[注釈 2]。 U404のビューロ艦長はドイツ大本営よりレンジャー撃沈を認定され、樫葉付き騎士十字章を受章した[6][7]。もちろん、アメリカ海軍はレンジャー撃沈を否認している[8]。 なおドイツ側は「同方面にいたUボートは1隻だけだった」と報道したが[注釈 2]、実際にはU-203がいて船団触接の打電した[3]。バイターのソードフィッシュはそれを頼りにU-203を爆撃し、さらにイギリス駆逐艦「パスファインダー」が攻撃を引き継いでU203を撃沈した[3]

1944年2月に搭載機を変更し、艦上戦闘機F4F4機[注釈 3]、艦上雷撃機フェアリー ソードフィッシュ11機になった。2月16日、本艦のF4F(マートレット)がアイルランド200海里西方でドイツ空軍のJu290 1機を撃墜した[10]

この後、ディーゼル機関がイギリス海軍の工廠では修理不能となった。1945年4月、本艦はアメリカ海軍に返還された。それから自由フランス軍に移管させられ、「ディクスミュードDixmude、ディズミュド、ディズムンデ[11]と表記される場合もある)」と改名されて自由フランス海軍で就役した。艦名は第一次世界大戦での激戦地ベルギーディクスムイデDixmude)からである[注釈 4]。自由フランス海軍の努力により機関が回復した後、艦載機は艦上戦闘機シーファイア15機に編成し直して[注釈 5]、再び船団護衛任務や航空機輸送任務に従事した。第二次世界大戦終結後、第一次インドシナ戦争にも一時従事した。搭載機は、第二次世界大戦終盤にフランス海軍航空隊へ供与されたSBD ドーントレス艦上爆撃機である[11][注釈 6]。本艦に配備されたのは、第4海軍航空隊であったという[14]。この急降下爆撃機を搭載し、1946年から48年にかけてインドシナで活動した。1949年から航空輸送艦となった。 1950年3月には合衆国東海岸ノーフォークに赴き[15]F6Fヘルキャット艦上戦闘機の輸送任務に従事している[注釈 7]。1956年にトゥーロン宿泊艦となった後、1966年にアメリカ海軍に返還されて同海軍で廃棄された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 航空機輸送ならば、さらに多数を搭載可能[1]
  2. ^ a b 魚雷四發見事命中 米空母レンジャー撃沈状況[5]【ベルリン廿六日發同盟】獨軍當局は廿六日米空母レンジャーの撃沈状況を次の如く發表した 廿五日早朝北大西洋に米空母が現れたとの報道が入つた、當時同同面に作戰してゐた獨潜水艦はわづか一隻に過なかつたがたゞちに同空母に對し攻撃を加へた、レンジャーは卅ノツトの快速力で驅逐艦數隻を從へて航行してゐた、獨潜水艦の放つた魚雷四發は見事空母の胴腹に命中し火焔が高く付近にあがると見る間に大爆發を起して沈没した、敵驅逐艦は空母乗組員の救助に奔走するのみで潜水艦に對しては一向攻撃を加へなかつた/戰前保有の米空母全部撃沈【東京廿六日發同盟】(以下略)
  3. ^ イギリス海軍のF4Fは従来「マートレット」と呼ばれていたが、機種名統一により「ワイルドキャット」となった[9]
  4. ^ 先代のディクスミュードフランス語版英語版は、フランス軍が第一次世界大戦によりドイツ帝国から接収したツェッペリン軍用飛行船ドイツ語版LZ 114」を改名したもの。1923年12月下旬、行方不明となった[12]飛行船事故により墜落)。
  5. ^ 1945年10月の新編当初は第1海軍航空隊 (Flottille 1F) だったが、1953年6月に第11F海軍航空隊に再編されてF6Fヘルキャットを装備した[13]
  6. ^ 供与されたドーントレスにより第3F海軍航空隊 (Flottille 4F) と第4F海軍航空隊 (Flottille 4F) が1944年に編制され、実戦にも出撃している[11]
  7. ^ (ヴアジニア州ノーフォーク三月八日發)[1] 米國の對西歡武器援助はいよいよ本日から正式開始され、米海軍のヘルキャツト戰闘機は受取りに派遣された佛國航空母艦デイツキスムード號に積載されている 佛スポークスマンの發表によれば、デイッキスムード號は今回四十八機を北阿ビザートまで運び同地に陸揚げし、歸路ツーロン港に立寄り直ちに米國に引き返えし、さらに飛行機を積載するが、この作業は今後なお二回繰り返えされる。(以下略)

出典

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  1. ^ a b 共産主義擴大防止の 對歐武器輸送はじまる 受取りに佛航母來る”. Yuta Nippō, 1950.03.10. pp. 2. 2024年1月12日閲覧。
  2. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 136.
  3. ^ a b c d e 呪われた海 1973, p. 312.
  4. ^ a b sinking Von Bulow Decorated for Sinking USS Ranger”. Air Group 4 “Casablanca to Tokyo”. 2023年9月23日閲覧。
  5. ^ 魚雷四發見事命中 米空母レンジャー撃沈状況”. Biruma Shinbun. pp. 2 (1943年4月28日). 2023年9月23日閲覧。
  6. ^ 五回目の殊勲 獨潜艦、米空母陣寸斷”. Manshū Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1943年4月27日). 2023年9月23日閲覧。
  7. ^ 米航空母艦レンヂャーを獨乙が撃沈と主張 但し聯合國側から右の確認なし”. Yuta Nippō. pp. 3 (1943年4月26日). 2023年9月23日閲覧。
  8. ^ 米航空母艦 撃沈説を否認 海軍當局より發表”. Hawaii Times. pp. 5 (1943年4月26日). 2023年9月23日閲覧。
  9. ^ ワイルドキャットエース 2001, pp. 83a-84「マートレット」から「ワイルドキャット」へ(Martlets Became Wildcats)
  10. ^ ワイルドキャットエース 2001, pp. 83b-84.
  11. ^ a b c 第二次大戦のSBD部隊と戦歴 2003, p. 90.
  12. ^ 佛飛行船不明”. Nichibei Shinbun, 1923.12.28. pp. 02. 2024年1月12日閲覧。
  13. ^ Histoire de la flottille 11F”. Net-Marine. 2024年1月8日閲覧。
  14. ^ Flottille 4 F”. Net-Marine. 2024年1月8日閲覧。
  15. ^ 第一回は驅逐艦十隻分の援助 米の西歐強化策”. Hawaii Times, 1950.03.04. pp. 6. 2023年9月23日閲覧。

参考文献

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  • 世界の艦船 増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)
  • バレット・ティルマン「第7章 英海軍航空隊」『第二次大戦のワイルドキャットエース』岩重多四郎 訳、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ〔世界の戦闘機エース8〕〉、2001年3月。ISBN 4-499-22742-9 
  • バレット・ティルマン『第二次大戦のSBDドーントレス部隊と戦歴 SBD Dauntless Units of World War 2』富成太郎 訳、株式会社大日本絵画〈オスプレイ軍用機シリーズ36〉、2003年8月。ISBN 4-499-22815-8 
  • カーユス・ベッカー『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』松谷健二 訳、フジ出版社、1973年7月。 
  • 歴史群像編集部編『アメリカの空母 対日戦を勝利に導いた艦隊航空兵力のプラットフォーム』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.53〉、2006年2月。ISBN 4-05-604263-2 

関連項目

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外部リンク

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