(不定) | |||||||
居住地域 | |||||||
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メキシコ 主に北部、西部、中央部 | |||||||
言語 | |||||||
メキシコのスペイン語, バスク語 | |||||||
宗教 | |||||||
ローマ・カトリックまたは無神論者 | |||||||
関連する民族 | |||||||
ヨーロッパ系メキシコ人, バスク人, バスク系アメリカ人, バスク系アルゼンチン人, バスク系チリ人, バスク系ウルグアイ人 |
バスク系メキシコ人 (スペイン語: Vasco mexicanoまたは単にVasco) は、完全または部分的にバスク人の祖先を持つメキシコ人、もしくはメキシコに居住するバスク地方出身人物のことである。メキシコに住むヨーロッパ人の中でもっとも重要でもっとも数が多い集団のひとつであり、世界最大のバスク人のディアスポラのひとつである。
バスク系メキシコ人はメキシコの隅々で見つけることができるが、特にチアパス州アリアーガ、ドゥランゴ州ドゥランゴ、タマウリパス州ヌエボ・ラレド、ソノーラ州アリスペ、ケレタロ州ベルナル、メキシコシティのナルバルテ地区などの都市や地域に多い。
バスク人の祖先を持つメキシコ人の人口は定かではない。20世紀初頭のスペインからの移民により、バスク人コミュニティはその規模を拡大させている。1930年代にスペイン内戦が起こると、スペイン・バスクから1万人以上が難民としてメキシコやラテンアメリカに政治的亡命を果たした。メキシコはフランコが死去するまでフランコ政府を容認しなかった国であり、フランコ政権に弾圧されたスペイン人の亡命先となった[1]。ラサロ・カルデナス大統領はスペイン人を約1万人受け入れ、メキシコに渡っていたホセ・アントニオ・アギーレらバスク自治政府はメキシコでスペイン第二共和国の再建に尽力した[1]。
バスク系メキシコ人の大半は、モンテレイ、サルティーリョ、カマルゴなどの都市や、ハリスコ州、コリマ州、ドゥランゴ州、ヌエボ・レオン州、タマウリパス州、コアウイラ州などの州に集中している。バスク人はメキシコの鉱業にとって重要な存在であり、バスク人の多くは牧場経営者やカウボーイなどに従事し、残りはメキシコシティ、グアダラハラ、プエブラなどの大都市で小規模商店主に従事している。
今日のバハ・カリフォルニア州や近隣のソノーラ州・コアウイラ州で、バスク語の姓であるアランブルサバラ(Aramburuzabala)はもっともよく知られた姓のひとつである。