バッチ (駆逐艦)

バッチ
基本情報
建造所 ニューヨーク州ニューヨークベスレヘム造船スタテンアイランド造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級
艦歴
起工 1941年11月19日
進水 1942年7月7日
就役 1942年11月14日
最期 1968年2月6日、ロドス島沖にて座礁・放棄
除籍 1968年3月1日
要目
排水量 2,050 トン
全長 376フィート6インチ (114.76 m)
最大幅 39フィート8インチ (12.09 m)
吃水 17フィート9インチ (5.41 m)
機関 蒸気タービン方式
出力 6,000馬力 (4,500 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)/15ノット
乗員 329名
兵装
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バッチベイチ (USS Bache, DD-470 [ˈbeɪtʃ][1]) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はジョージ・M・バッチ英語版提督に因む。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴

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「バッチ」は1941年11月19日、ベスレヘム造船ニューヨーク州スタテンアイランドにて起工され、1942年7月7日に進水、1942年11月14日に就役した。

大西洋艦隊に属した「バッチ」はノバスコシア州ハリファックスへの護送船団護衛を務めた後、オーバーホールのためにニューヨークに戻った。1943年2月6日、航空母艦ヴィクトリアス」の護衛としてバージニア州ノーフォークを離れた。「バッチ」は1943年3月4日に真珠湾に到着し、5月10日まで訓練を行った後、アリューシャン列島に向けて出航した。1943年12月までアリューシャン列島の海域にて作戦に従事し、キスカ島の攻撃に参加した。真珠湾にて船体補修を行った後、1943年12月23日に第7艦隊に加わった。1943年12月26日から1944年10月29日まで、第7艦隊にてニューブリテン島の戦いに参加した。その後はアドミラルティ諸島の戦いレイテ沖海戦に参加し、1943年10月29日、船体補修に本国に戻った。

船体補修後、1945年2月20日にはエニウェトク環礁の第5艦隊に加わった。2月28日から3月5日まで、「バッチ」は硫黄島で航空支援を行い、4月1日に護衛と哨戒任務を行うために沖縄に到着した。 5月3日、日本軍神風特攻隊を撃墜した際にわずかな損傷を負った。同日、特攻を受けた中型揚陸艦LSM(R)-195英語版」の乗員74名を救助した。5月13日、数機の急降下爆撃機が護衛艦隊を攻撃し、1機が「バッチ」へ突撃した。乗組員のうち41名が死亡(16人が行方不明)、32名が負傷し全ての機関と電力が失われ、火災は20分後に鎮火された。「バッチ」は応急修理のため沖縄の慶良間諸島に曳航された。

「バッチ」は1945年7月13日に完全な修理のためにブルックリン海軍工廠に到着し、その後サウスカロライナ州チャールストンにて予備役となり、1946年2月4日に退役した。1950年、ボストン海軍工廠護衛駆逐艦に改造され(1951年1月2日にDDE-470に分類)、1951年10月1日に再就役した。大西洋艦隊に配属され、カリブ海へ航行した後、地中海にて第6艦隊に配属され、作戦と演習を行った。

「バッチ」は1962年6月30日にDD-470に戻り、ギリシャロドス島に寄港した際、強風によって1968年2月6日にロドス港の外で座礁、廃棄された。1968年3月1日に退役となり、海軍船籍から除籍された。

従軍星章

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「バッチ」は第二次世界大戦中の功績により8個の従軍星章を授与された。

脚注

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関連項目

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かつてロドス島には巨大なからくり仕掛けの像が港に不法侵入した船に対し巨像が持つ器から煮えたぎる鉄や油を注ぎ船舶を沈めるという伝承がある。「バッチ」の最期は偶然にもその伝承のあるロドス島で座礁事故を起こし廃艦となってしまった。

外部リンク

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